【ジャンプ】銅メダルの二階堂蓮「お父さんを強く抱きしめました」 父に恩返しの大ジャンプ

[ 2026年2月10日 05:06 ]

ミラノ・コルティナ冬季五輪第4日 男子個人ノーマルヒル ( 2026年2月10日    プレダッツォ・ジャンプ競技場 )

2回目に会心の大ジャンプで左手を突き上げる二階堂蓮(AP)
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 ミラノ・コルティナ冬季五輪のノルディックスキー・ジャンプの男子個人ノーマルヒル(ヒルサイズHS=107メートル)が9日(日本時間10日)、プレダッツォ・ジャンプ競技場で行われた。初出場の二階堂蓮(24=日本ビール)が101メートル、106メートル50の266・0点で銅メダルを獲得した。22年北京五輪王者の小林陵侑(チームROY)は、100メートル50、104メートルの合計260.6点で8位で種目史上初の五輪連覇はならなかった。中村直幹(フライングラボラトリー)は15位だった。

 二階堂は1回目に101メートル、131・1点で6位つけた。トップとは4・5ポイント差の大混戦。プレッシャーのかかる2回目に臨んだが、106メートル50を飛び、こん身のガッツポーズでほえ、5人を残してトップに立った。その後、2人に抜かれたが、デシュバンデン(スイス)と合計266点で並んで銅メダルとなった。メダルが確定すると、小林陵侑、中村直幹とともに喜びを分かち合った。

 「メダルは想定内ではありますけど、まさか同率で獲得できるとは。そういうのも含めてうれしいです」と笑顔で語った。「(テレマークは)本当によかった。夏から小さい台で基礎的なテクニックをやってきた。コツコツとやってきてよかった。2本ともいいジャンプだった。飛び出した時の板の開きはよくなかったが、それでもメダルを獲れるジャンプができてよかった」と声を弾ませた。

 北海道江別市出身。父は1991年世界選手権代表の元スキージャンパー、学さんだ。8歳の冬、札幌の少年団の体験会に父から誘われ、競技を始めた。「行く!」と即答したものの、当日の早朝には「眠いし、寒い」と駄々をこね、半ば無理やり連れて行かれたという。それも今では良い思い出だ。手作りの2メートルの台を飛んだ瞬間、「飛ぶという感覚にはまった」。そこから、ジャンプにのめり込んでいった。

 元代表選手の父を持ち、エリートのように映るが、二階堂の原動力は「反骨心」だ。下川商3年時にW杯出場を果たすなど世代の先頭を走ったが、実業団チームから声はかからなかった。東海大に進学したものの、競技に専念するため約1年で退学。派遣のアルバイトに登録し、田植えなどで活動費を稼ぎながら競技を続けてきた。

 昨季はW杯で7度のトップ10入りを果たしたが、勝利には届かなかった。それでも昨夏、つま先寄りだった助走の重心を修正。踏み切りに力強さが加わり、持ち味の前傾の空中姿勢が、飛距離に直結するようになった。

 プレダッツォのジャンプ台は、父・学さんが世界選手権を戦った舞台でもある。運命的なものを感じているという。「お父さんの前で獲れたのが本当にうれしかった。強く抱きしめました。辞めなくて本当によかった。悔しい気持ちでその場の勢いで辞めると言っていたけど、こうやって支えてくれる人たちがいて、僕を必要としてくれる人がいるのを再認識できて、こうやってメダルを獲れたのも皆の支えのお陰。いろんな人に感謝したいです」。競技へ導いてくれた父への、最高の親孝行となった。

 ◇二階堂 蓮(にかいどう・れん)2001年(平13)5月24日生まれ、北海道江別市出身の24歳。江別大麻泉小2年からジャンプを始め、下川商3年時に全国高校総体優勝。20年W杯初出場。22年に夏のグランプリで初優勝し、23年世界選手権初出場。家族は両親、姉、兄。趣味はアニメ観賞。1メートル66。

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