ジョセフHC 悔やまれる「半年」の遅れ 就任早ければ選手層さらに厚く

[ 2019年10月22日 10:00 ]

ONE TEAMの4年間(1)

ジョセフHC(右)が就任したのは16年9月だった
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 3勝1敗の好成績を残しながらも、1次リーグで敗退した15年大会から4年。史上初の8強入りを果たしたジョセフジャパンは、その後の4年でどんな足跡を残し、高みへとたどり着いたのか。「ONE TEAMの4年間」を、さまざまな角度から5回連載で検証する。 

 31分の26。日本は全試合が中6日以上という日程面の恩恵を最大限に生かし、選手31人中26人で全5試合を戦った。出場機会がなかったフランカー徳永やSH茂野ら5人はサポート役として必要不可欠だった一方、他の8強進出国は満遍なく31人を起用。主力に休養を与え、控えには経験を積ませたことを考慮すれば、選手層の面では強豪と差があった。

 要因の一つに挙げられるのが、ジョセフHCの就任時期だ。新指揮官の選定が遅れたため、就任前の16年春はアジア選手権を中竹竜二氏、スコットランド戦など3試合をサンウルブズのマーク・ハメットHCが代行。選手選考は薫田真広ディレクター(当時。元強化委員長)を中心に進めたが、日本協会の幹部が前年W杯のブーム継続のため、15年戦士の招集を“強弁”。現場は混乱をきたした。

 最たる例が、16年リオデジャネイロ五輪出場を目指して7人制の代表候補合宿に参加していた複数の選手への招集要請だ。競技特性が異なり、代表選考も大詰めを迎える時期の招集は、19年に向けた代表選考の方向性が固まっていなかったことを示す。当然ながらジョセフHCの意向も反映されていなかった。

 同年秋にはジョセフHCが就任し、半年遅れで19年への代表選考レースが本格スタートした。翌17年春、アジア選手権ではSH流や徳永が初キャップを獲得。秋にはNo・8姫野、プロップ具が見いだされ、ラブスカフニやムーアといった外国出身選手が初キャップを獲得したのはW杯開幕直前の今年7月だった。

 選手の将来性を見極めて選考し、経験を積ませてW杯代表に育てる。半年間の就任遅れがなければ選手層はもっと厚くなり、4強入りの可能性はもっと高まったかもしれない。(特別取材班)

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