玉鷲、悲願初V!鉄人34歳2カ月 歴代2位の年長記録

[ 2019年1月28日 05:30 ]

大相撲初場所千秋楽   ○玉鷲―遠藤● ( 2019年1月27日    両国国技館 )

賜杯を左手に、長男・テルムンくんを右手に抱える玉鷲(中央)(撮影・久冨木 修)
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 関脇・玉鷲が涙の初優勝を飾った。単独トップで迎えた平幕・遠藤との一番を突き落としで制し、13勝2敗。3横綱不在の場所で主役を務めた。34歳2カ月での初優勝は、年6場所制となった1958年以降で2番目の年長記録。初土俵から90場所、新入幕から62場所は、ともに史上4位のスロー記録となった。この日は第2子となる次男が誕生。ダブルの喜びに浸った。

 花道を引き揚げると、玉鷲の涙腺がみるみるうちに決壊した。「良かったです、本当に。今まで努力して良かった」。34歳でつかんだ初優勝。遅咲きの男が感慨に浸った。

 勝てば優勝が決まる一番。「負けても(優勝決定戦で)勝てばいい」と開き直っていた。頭で当たって突っ張り、遠藤の頭が下がったところで突き落としを決めた。土俵下では片男波親方(元関脇・玉春日)が審判を務めていた。「余計に気合が入った」。厳しく指導してくれた師匠に最高の形で恩返しした。

 ホテルマンを目指してモンゴル食料技術大に入学したが、体が大きかったこともあり相撲に興味を持ち始めた。東大に留学していた姉ムンフズルさんを頼って18歳だった2003年秋に来日。そこで当時・幕下だった鶴竜と出会い、人生が変わった。すぐに片男波部屋に入門。ほとんどスポーツ経験がなく、幕内最高優勝など「想像もできなかった」。そんな日がついに訪れた。賜杯の重みを感じても「夢が実際になって、今でも信じられない」と夢見心地だった。

 家族に勇気をもらった。エルデネビレグ夫人はこの日午前4時ごろに第2子を出産した。玉鷲は午前3時まで夫人のそばにいたが、いったん帰宅。息子の誕生を知り、朝6時ごろに再び病院に駆けつけた。そこで夫人に「私のことより相撲に集中して」と励まされたという。家族思いの男は奮い立った。

 15年春場所の新三役は30歳で、17年初場所の新関脇は32歳。そこから進化できたのは、ライバルの存在があったから。「周りがはい上がっているから自分も付いていった」。何度も壁にはね返されながら横綱に昇進した稀勢の里や大関・高安の姿を見て、鍛錬を続けた。基本を徹底することで脇が甘かった悪癖が消えた。

 関脇での優勝で、大関も視界に入ってきた。「思う存分、相撲を取って、皆さんを喜ばせたい」。初土俵から90場所、1151回無休で土俵に上がり続ける鉄人は、これからも変わりなく全力を出し切り、上の番付を狙っていく。

 【玉鷲 一朗(たまわし・いちろう)】

 ☆本名 バドジャルガル・ムンフオリギル。

 ☆生まれ 1984年11月16日生まれ、モンゴル・ウランバートル出身の34歳。

 ☆サイズ 1メートル88、172キロ。

 ☆得意 突き、押し。

 ☆初土俵 2004年初場所デビュー。同期には嘉風がいる。序ノ口となった翌春場所は2連敗スタートから4勝3敗と勝ち越した。

 ☆新十両 08年初場所。10勝5敗と勝ち越した。

 ☆新入幕 08年秋場所。後半戦の7連敗で4勝11敗と大きく負け越し。

 ☆新小結 15年春場所。新入幕から所要38場所での新三役は史上7位タイのスロー昇進。

 ☆新関脇 17年初場所。新入幕から所要49場所での新関脇は史上5位タイのスロー昇進。

 ☆金星 2個。15年夏場所9日目に日馬富士、17年九州場所初日に稀勢の里を破った。

 ☆三賞 技能賞1回。西小結だった16年九州場所、10勝5敗の成績で獲得。

 ☆趣味 洋菓子作り、手芸、プラモデルなど。「小さなものを作るのが好き」で、小物なども自分で作成する。

 ☆家族 エルデネビレグ夫人、長男・テルムンくんと次男。

 【玉鷲Vアラカルト】

 ▽スロー初優勝 初土俵から90場所、新入幕から62場所はともに史上4位のスロー記録。最も遅いのはともに旭天鵬で、初土俵から121場所、新入幕から86場所。

 ▽外国出身 14人目の優勝。モンゴル出身は、朝青龍、白鵬、日馬富士、旭天鵬、鶴竜、照ノ富士に次いで7人目。

 ▽関脇優勝 18年名古屋場所の御嶽海以来、27度目(26人目)。

 ▽関脇以下連続優勝 先場所は小結・貴景勝が初優勝した。関脇以下の優勝が2場所以上続いたのは、00年初場所から関脇・武双山、平幕・貴闘力、小結・魁皇が優勝して以来で、19年ぶり9度目。

 ▽4年連続初優勝 初場所の優勝力士は、16年琴奨菊、17年稀勢の里、18年栃ノ心といずれも初優勝。玉鷲で4年連続となった。

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