東海大 両角監督、世界見据え就任8年目で頂点「これからも挑戦者」

[ 2019年1月4日 05:30 ]

第95回箱根駅伝復路 ( 2019年1月3日 )

総合優勝し胴上げされる東海大・両角監督
Photo By 代表撮影

 王座から引きずり降ろされた青学大の原晋監督(51)の言葉に実感がこもっていた。「いやぁ、強いなぁ」。箱根の歴史に新王者として名を刻んだ東海大の両角速監督(52)が応じた。「まぐれだよ」。指導者として切磋琢磨(せっさたくま)してきた同学年の2人。「まぐれじゃ勝てないんだよ」。原監督にこう返されると、両角監督はうれしそうに笑った。

 東海大時代、ディスコや麻雀を愛しつつ4年連続で箱根路を駆けた。長野・佐久長聖高の指揮を執ると、男子マラソンで日本記録を樹立した大迫傑や村沢明伸ら名ランナーを育成。08年には全国高校駅伝も制した。11年4月、手腕を買われ東海大駅伝部の監督に就任したが、箱根制覇への道のりは険しかった。

 箱根駅伝の注目度は想像を絶していた。「高校では感じたことのないようなプレッシャーだった」。周囲からの期待、支援に「恩返しをしなければ」の思いは募るが、12年10月の予選会で敗退し、73年から続いた連続出場が40でストップ。「研究不足、勉強不足。学生に対して申し訳なかった」と振り返る。

 14年に自らの右腕となる西出仁明コーチが就任。学生寮には低酸素テントも導入した。環境を整え、16年には全国高校駅伝で活躍した選手が多数、加入した。“黄金世代”を擁して17年出雲駅伝で優勝する一方、箱根で結果が残せなかったが、就任8年目でついに頂点に立った。

 86キロだった体重は昨秋からの食事制限と毎日の走り込みで69キロに。「いつも選手に厳しい課題を押し付けているので、監督自身も胴上げしやすいように準備しないと」。大手町、軽い体で5度、宙を舞う。目に入った青い空が忘れられない。「気持ち良かった。最高」。箱根だけでなく、世界を見据える指導が信条。一瞬、歓喜に浸った後、学生に伝えた。「王者じゃないぞ。これからも挑戦者としてやっていくぞ」――。指揮官はぶれない姿勢で学生を鍛え上げる。再び、あの青空を見るために。

 ◆両角 速(もろずみ・はやし)1966年(昭41)7月5日生まれ、長野県出身の52歳。東海大三高から東海大に進み、箱根駅伝は1年時に3区9位、2年時に3区7位、3年時に1区7位、4年時に2区9位。卒業後は日産自動車やダイエーで活躍し、95年に佐久長聖の監督に転身すると08年に全国高校駅伝を制し、11年4月に東海大監督に就任した。

 ▽東海大陸上部 1960年創部。箱根駅伝は初出場した73年から40大会連続で出場し、今回が46度目。03年に全日本大学駅伝初優勝。出雲全日本大学選抜駅伝は05年からの3連覇など4度制した。箱根駅伝1区の区間記録を持つ佐藤悠基や村沢明伸(ともに日清食品)らがOB。短距離では100メートル前日本記録保持者の伊東浩司や200メートルの末続慎吾、400メートルの高野進ら日本記録保持者を輩出。活動拠点は神奈川県平塚市。

 ▽初優勝にかかった年数 第49回大会の初出場から今回の初優勝まで46大会を費やした東海大は、歴代4位のスロー初V。歴代1位は東洋大の76大会。2位は青学大の72大会、3位は神奈川大の61大会だった。

 《山下副学長は手腕絶賛》東海大の山下泰裕副学長は両角監督とがっちりと握手を交わし勝利を祝福した。「素晴らしい陸上指導者ですし、素晴らしい教育者ですよ」と手腕を絶賛した。両角監督から指導方針を相談されたことがあったと言い「両角先生のやり方でいいです。一人一人の可能性を伸ばしてほしい」と伝えたという。優勝パレードは今後考えるとし「とりあえずは学内の報告会で祝福したい」と笑顔だった。

続きを表示

この記事のフォト

「羽生結弦」特集記事

「テニス」特集記事

スポーツの2019年1月4日のニュース