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ドーハの悲劇から29年 因縁の地に挑む森保監督へ カズ、ゴンら“あの日”の戦友たちがメッセージ

[ 2022年3月25日 06:30 ]

「GO USA」の横断幕もむなしく…W杯出場を逃しグラウンドに座り込む日本代表イレブン
Photo By 共同

 日本代表が7大会連続のW杯出場を決めたが、森保監督の偉業を誰よりも喜んでいるのは1993年10月28日にあの“ドーハの悲劇”を経験した仲間だろう。あれから29年。あの時の選手、コーチからもそれぞれの“森保評”や祝福メッセージが届いた。

 ▼三浦知良(JFL鈴鹿ポイントゲッターズFW)オール日本人のスタッフでW杯まで行くのは初めて、オール日本人でW杯予選を最初から最後まで突破するのも初めて。日本サッカーの新しい歴史が始まる。Jリーグ創設から30年、W杯にも98年フランス大会以後、ずっと出場を続け、その間、日本人もいろんな経験をしてきた。ドーハ世代の仲間が監督になり、そのトップとして日本人の層の厚さだったり、優秀さというのを世界に示してほしい。友人としても応援してます。森保監督といえば、昔から「いい人」で本当に真面目だった。試合後は一緒に飲みに行ったりもしたけど「真面目」。それは今も変わらない。髪形も昔から全然変わってないでしょ(笑い)。

 ▼武田修宏(サッカー解説者)昨年11月にカズさん、ラモスさんと激励会を開いたが、そこからチームが復調した。負けたら監督交代といわれた厳しい時期で、森保監督も最初は緊張していたがいい気分転換になったはず。ドーハ組は絆が強く、仲間が苦しんでいたら助けるのは当たり前。広島監督時代もACLで若手を使い批判されたが、そのおかげで浅野らが成長、いつも先のことを考えていた。

 ▼高木琢也(J3相模原監督)ボールも奪うしカバーもする、責任感も強く前線を支えてくれてピッチ内での気配りが凄かった。高校時代から知っていたが、当時は体も小さかった。石橋を叩いて渡るタイプだが、芯は強い。それがボランチで成功した要因だと思う。昨年10月のオーストラリア戦で君が代を聞きながら涙を流したが、あの後は森保らしい試合になった。覚悟を決めたのだと思った。

 ▼中山雅史(磐田コーチ)日本代表、予選突破おめでとうございます。本大会での活躍を楽しみにしています。暴れてください。そして…暴れまくってください!!

 ▼黒崎久志(山東泰山ヘッドコーチ)日本代表で初めて一緒になったが、献身性と気遣いに驚いた。10年から2年間、私が新潟監督の時のヘッドコーチで、選手との間に立ってチームを常に良い方向に導くサポートをしてくれた。現役引退も03年で一緒、翌年1月に国立で行われた井原さんの引退試合に一緒に出たが、2人にとっても引退試合だねと冗談を言った記憶がある。

 ▼三浦泰年(JFL鈴鹿ポイントゲッターズ監督)森保ジャパンが19年にコパアメリカ(南米選手権)でブラジル遠征したとき、僕はサンパウロのクラブのU―21で監督をやっていました。そのときに森保監督と話す機会があったのですが「代表ファミリー」だということで日本代表のユニホームをもらって…。もうドーハの悲劇からはだいぶ年月が経過しているし、いきなりコパで会ったのに本当に思いやりがあり、うれしかったです。W杯では恐れず、自分を信じて力を発揮してほしい。森保監督を応援できることをサッカー人として誇りに思う。

 ▼吉田光範(ヨシダサッカースクール代表)選手としてはシンプルで、止める、蹴るの技術が正確でバランサーとしての存在感があった。ポジショニングがよく、いつもいるべきところにいて、私の視野にも入ってくれていた。メンタルの起伏が少なく、常に平常心を保てる。W杯に向けては自分の目を信じてメンバーを決めて良い結果を出してほしい。

 ▼堀池巧(順大監督)当時はあまり知られていなかった選手で、みんなで「誰?」と驚いたが、すぐに選ばれた理由が分かった。真面目であまりエピソードがないが、92年に広島で開催されたアジア杯で優勝した時は選手を市内の飲食店に案内していた記憶がある。五輪監督の時は、当時順大の選手だった旗手を招集する前に「お借りします」と連絡してくる律義な男だ。

 ▼都並敏史(関東1部・浦安監督)読売クラブは同サイドで攻めきるブラジルスタイルだったが、オフトは欧州スタイルで、サイドチェンジを求めた。森保に渡すとサイドチェンジするのでラモスさんが「俺に戻せ」とよく怒っていたが耳を貸さなかった。いろいろな選手を組み合わせて、そのジョイント役が森保、ピッチ外では静かだが、ピッチ内の頑固さは天下一品。監督になっても変わっていない。

 ▼勝矢寿延(C大阪スクールコーチ)ドーハの悲劇と呼ばれるイラク戦は忘れられない試合で、今も90分間を通して映像を見ることはできない。一緒に戦った森保くんは、オフトジャパンの浜名湖合宿まで知らなかったけど「勝矢さん、長崎日大の森保です!」とあいさつに来てくれた。同郷だったので、同じ長崎出身の高木、前川を含めて「頑張ろうや」となった。おとなしくて地味だけど、ピッチでは本当に頼れる存在で、今では日本代表を率いる立場。その姿を見られてうれしいし、常に応援しています。

 ▼井原正巳(柏ヘッドコーチ)どんな状況でも哲学を持ってぶれずにやっている。逆風には「耳にも目にも入れない」と言っていた。現役時代は周りの選手にいろいろ指示されても、整理して考えながらプレーしていた。黒子に徹し、フォア・ザ・チームで、それが指導にも生かされている。体は大きくないが、勇敢でどんな相手にもひるまず立ち向かう。欧州遠征で足をケガしたのに痛そうなそぶりも見せずにやっていたことを覚えている。

 ▼大嶽直人(J3鹿児島監督)おめでとう!森保監督、ぽいちくん。素晴らしい試合、感動、最高です。常に選手目線や、気配り、心配りがあり、どんな状況でも乗り越えられる言葉、探究心を持ってチャレンジする行動は素晴らしいです。選手時代、諦めず、努力する姿は勇気と自信をつけさせてくれました。京都時代が忘れられないです。出会いが今の自分の成長につながっています。ありがとう。ドーハでは我々の時とは違い、環境的には必ず有利に進むと思います。熱く応援させていただきます。

 ▼大野俊三(鹿島ハイツスポーツプラザ支配人)森保監督が率いてからずっと応援してきた。ご苦労さま、そしておめでとう。森保監督はJ発足時からの戦友で、当時から献身的なプレースタイルが凄く印象的だった。献身的な思いでやってきたことで出場決定にたどり着けたのだと思う。横内コーチは彼の妻が僕のいとこで親戚。お二人をよく知っている。頑張ったなというのを声を大にして伝えたい。僕たちはあと一瞬で(W杯に)行けない悔しい思いをした。あのときの悔しさが、ようやくいい思い出になっていく。

 ▼柱谷哲二(花巻東高テクニカルアドバイザー)ダイナスティ杯の合宿以降、ずっと同部屋だったが、時間があると彼は英会話のヒアリングを勉強していた。当時から将来はどこを目指すか考えて地道にやっていたということ。オフトがとてもシンプルで素晴らしいボランチだといっていたが、私とは逆のタイプで勉強になった。森保と長谷川健太は一番覚悟を持っていると感じていた。

 ▼松永成立(横浜GKコーチ)浜名湖合宿で初めて会った。どんな選手か知らなかったが、一緒に練習して、代表に呼ばれた理由がよく分かった。柱谷からいろいろと教わり、成長したと思う。真面目で信念を貫き、悪くいう人は一人もいない。今はW杯に出るのが当たり前ではないし、アジアの戦いは想像以上に厳しい。コロナで練習機会が少ない中で、よく勝ち抜いたと思う。

 ▼清雲栄純元コーチ(元法大教授)当時から気持ちが安定していてぶれないし、人の話をよく聞く選手だった。練習で疑問に思ったことはすぐにオフトに聞いていた。チームのため、仲間のために戦える選手。代表の指導者になった後も、海外遠征でビジネスクラスが足りないと、選手に譲って自分はエコノミーに座ることがあると聞いたが、彼の人間性を表していると思う。

 ▽ドーハの悲劇 93年10月にカタール・ドーハで行われた94年W杯米国大会アジア最終予選最終戦のイラク戦。4戦を終えて首位に立っていた日本は勝てば初のW杯出場が決まる状況だった。前半5分にカズのゴールで先制した日本は、その後同点に追いつかれるも、後半24分にFW中山のゴールで再びリードする。しかし、後半アディショナルタイムに右CKから同点ゴールを許し、韓国に次ぐ3位へと転落。夢舞台への道を閉ざされた。

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2022年3月25日のニュース