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森保ジャパン 7大会連続W杯!三笘2発で豪州撃破、ドーハの歓喜へ旅路が始まる

[ 2022年3月25日 05:30 ]

カタールW杯アジア最終予選B組   日本2―0オーストラリア ( 2022年3月24日    シドニー )

<日本・オーストラリア>後半、2点目を決めた三笘は歓喜のジャンプ(撮影・小海途 良幹)
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 日本代表が7大会連続7度目のW杯出場を決めた。最終予選では敵地で過去一度も勝てなかったオーストラリアに2―0完勝で、B組2位以内を確定させた。途中出場のMF三笘薫(24)が後半44分とアディショナルタイムに2得点。圧巻のドリブルで、夢舞台への道を切り開いた。2敗から一転、6連勝でW杯への道を切り開いた森保一監督(53)にとっては、ドーハの「悲劇」を「歓喜」に変える旅路が、本格的に始まる。

 カタールへの扉をこじ開けたのは、三笘だった。0―0の後半39分からピッチに立つと、その5分後だ。川崎Fで一緒にプレーした守田と山根が右サイドを崩し、最後は山根の右クロスに右足で合わせた。「(山根)視来くんならマイナスにくれると思った」。川崎F時代に築いたホットラインから決めた代表初ゴールは、W杯出場を決める劇的な一発となった。

 ただ“ショー”は終わらない。圧巻は後半アディショナルタイムだ。左サイドで原口からボールを受けると、雨でぬかるんだピッチにも「感覚は凄く良かった」と得意のドリブルがさく裂。一気に加速して3人をかわすと、最後は試合を決定づける2点目を右足で叩き込んだ。「森保監督からは“決めてこい!”と言われた。全員の力で勝った試合」。試合後、チームメートからもみくちゃにされたヒーローは興奮気味に振り返った。

 まさに森保ジャパンの救世主だ。A代表デビューとなった昨年11月の敵地オマーン戦では、後半開始から出場して伊東の決勝点をアシスト。停滞した空気を、果敢なドリブルで一変させた。前回の代表活動は右足首のケガで招集外となったが、再び訪れたチャンス。大迫、前田ら点取り屋を欠いた中で、日本屈指のドリブラーがW杯への道を先導した。

 川崎Fの下部組織でプレーした小学生時代から、当時の指導者は視野の広さや先を読む力について「ずばぬけていた。大人顔負け」と明かす。かつて五輪金メダリストを育てたトレーナーから「メダリストの筋肉を持っている」と評されたこともある。大きなストライド、足に吸い付くようなドリブル。日本人離れしたドリブルの技術も、幼少期から磨いたものだ。インなら親指の点、アウトなら小指の点。ボールは「面」ではなく「点」で捉える意識で扱い、細やかに強弱を変える技術を、小学生の頃から追求していた。

 ベルギー1部で首位を走るサンジロワーズでは今季、19試合5得点3アシスト。ウイングバックも務め、苦手だった守備面でも成長した。「W杯で活躍すれば、その選手の価値はそこで決まってくる印象がある」。サッカー人生の分岐点と描く夢舞台への道を、自らのプレーで切り開いた。

 《カズ&本田以来の最終予選複数得点》三笘が代表初ゴールを含め殊勲の2得点。最終予選での複数得点は、三浦知良が93年10月北朝鮮戦で2得点と97年9月ウズベキスタン戦で4得点、本田圭佑が12年6月ヨルダン戦で3得点したのに次ぎ3人目、4度目。W杯出場が懸かった試合、途中出場ではいずれも三笘が初めて。またW杯出場決定試合で代表初得点は17年8月オーストラリア戦の井手口に次ぎ2人目で、決勝弾は三笘が初の快挙。

 ◇三笘 薫(みとま・かおる)1997年(平9)5月20日生まれ、川崎市出身の24歳。6歳時にさぎぬまSCでサッカーを始め、小3で川崎Fの下部組織入り。ユースまでプレーし、筑波大に進学。17~19年に3年連続で関東大学1部リーグのベストイレブン。17年に川崎Fの特別指定選手となり、プロ1年目は13得点12アシストでベストイレブン。21年8月にプレミアリーグのブライトンに完全移籍し、21~22シーズンはベルギー1部サンジロワーズでプレー。1メートル78、73キロ。利き足は右。

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