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昌子が貫いた姿勢 最後まで諦めない、伝えたかった鹿島イズム

[ 2016年12月4日 08:30 ]

明治安田生命JリーグCS決勝第2戦 ( 2016年12月3日    埼玉 )

<浦和・鹿島>優勝した瞬間、喜ぶ鹿島・昌子
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 鹿島のDF昌子源(23)は第2ステージ中、腰痛と闘っていた。ピッチ内だけでなく、ピッチを離れても必要と思えば時には厳しく、激しく、チームのために声を上げ体を張ってきた。激痛に苦しんだ時期、何を考えていたのか。手記で明かした。

 残り15分は本当に苦しかったけど、最後はチャンピオンになりたい気持ちの強いチームが勝つと信じてプレーしました。浦和には年間勝ち点で15も離されているし、複雑な優勝ではあります。俺らが浦和の立場だったら本当に悔しいし、文句も言いたくなる。でもルールはルールだし、優勝を誇りに思いたい。この大会方式はもういいかな、とも思いますが(笑い)。

 あの時、実際何が起きてたんやってことを言うと、何か負けたような気がして、シーズン中に言うのはやめようと思っていたんですが。9月10日の柏レイソル戦は、休養していた石井監督のリーグ復帰初戦でした。ふがいない戦い方で負けた後、ロッカールームでみんなに言わせてもらいました。「みんなホンマに全力でやったんか?120%出したんか?俺はやった。俺らはどの試合でも勝たなあかんチームにいてる」と。言ってからしれっとシャワーに行きましたが、実は1カ月前から痛めていた腰の痛みがピークでした。

 柏戦後の週は、激痛で走れなくなりました。木曜日の紅白戦は1本だけにしてもらって。それでも撮るように言われていた負傷部位のMRI(磁気共鳴画像装置)の画像は「撮ったら俺、(次節の)ジュビロ(磐田)戦に出られん」と、負傷の重症度が分かるのが嫌で断固拒否しました。柏戦後にみんなに強く言っていたこともあって、休むわけにはいかないという思いがありました。

 磐田戦は試合直前までコルセットを巻いて、キネシオ(テーピングテープの一種)を横2本、縦3本貼って出て、点を取りました。痛みは限界を突破していました。チームが後半29分にPKで2点目を取った後、剛さん(大岩コーチ)に「やばいです」と切り出して、やっと交代しました。

 それから2試合休んで、中断期間明けの10月22日からまたピッチに立ちました。試合には当分出られない感じでしたけど、最後に懸ける思いがあったから、自分から「出してくれ」って言って、痛くても試合に出ました。しっかり魂を持って出ました。

 普通なら休んでチャンピオンシップに万全に間に合うようにすると思うけど、そうはしなかった。何でかって聞かれたら難しいけど、覚悟はありました。戦う姿勢だったり、最後まで諦めない姿勢を少しでもチームに還元したり、見ている人に何かが伝わるプレーをしたいと思っていた。それができて良かったです。優勝は腰が悪くても自分なりの精いっぱいをやった結果。自分でもようやったなと思います。 (鹿島アントラーズDF)

 ◆昌子 源(しょうじ・げん)1992年(平4)12月11日、兵庫県神戸市生まれの23歳。フレスカ神戸U―12、G大阪ユース、米子北高を経て11年に鹿島入団。14年にはリーグ戦全34試合で先発出場を果たし優秀選手賞。同年日本代表に初選出。国際Aマッチ通算2試合0得点。ポジションはDF。1メートル82、74キロ。利き足は右。

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2016年12月4日のニュース