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伊調馨無敵の3連覇 リオで4連覇挑戦も示唆

[ 2012年8月10日 06:00 ]

五輪3連覇を達成し、スタンドに向かって笑顔でガッツポーズの伊調馨

ロンドン五輪レスリング

 日本スポーツ界に新たな伝説が誕生した。レスリング女子63キロ級決勝で伊調馨(28=ALSOK)が景瑞雪(ケイズイセツ)(24=中国)を2―0で下し、04年アテネ、08年北京に続く3連覇を達成した。日本選手の個人種目3連覇は柔道男子60キロ級の野村忠宏に続く2人目で、女子では初の快挙となった。4日の練習中に左足首のじん帯を断裂する大ケガを負いながら、1ピリオドも落とさず圧勝。16年リオデジャネイロ五輪での4連覇への挑戦も示唆した。

 勝負ヘアのコーンロウは、再びきれいに編まれていた。表彰式後の記者会見。照れるような笑みを浮かべた伊調は「五輪3連覇を目標にしてきたわけではないから、3連覇と聞いて、年を取ったなあと思います」と周囲を笑わせた。そして、続けた。「五輪は金メダルを獲る責任がある。内容も良ければいいけど、まあ金メダル獲れたんで、責任は果たせたので久しぶりに笑えました」

 最大のヤマ場とされた初戦の2回戦の相手は67キロ級の現役女王で、北京五輪でも1ピリオドを奪われた強豪ダグレニアー(カナダ)。だが、心配は無用だった。第1ピリオド序盤。北京以降に磨き上げてきた脚の上部へのタックル「ハイクラッチ」がさく裂した。第2ピリオドは1点を先制されたが、終了と同時に得点して逆転。「自分は4年前とは違うぞ、と。相手は北京のときと一緒でした」と涼しい顔で振り返った。

 3日にロンドン入りし、最初の練習となった4日にマットで足を滑らせ、左足首を痛めていた。「ドクターには“3本のじん帯のうち1本と半分が切れている”と言われた」という大ケガ。試合前日は炎症止めの注射を打ち、この日も決勝前に痛み止めを打った。「何で今なんだろう、とは思ったけど、ケガのことを考えても仕方がない」と振り返った28歳は「練習ができない間のイメージトレーニングが良かった。でも、万全でやりたかったというのはあります」と平然と言ってのけた。

 08年北京五輪後、1年間のカナダ留学を経て、マットに戻った。ともに戦ってきた姉・千春さん(30)は教師の道を選んだ。「1人になって、いろんな人にお世話になった。迷惑も掛けたけど恩返しができたかな」。全日本男子の合宿に参加し、攻撃のバリエーションを増やした。感性だけのレスリングが、論理的な思考をまとい、進化した。この日は4戦して、1ピリオドも奪われない圧勝劇だった。

 スタンドには姉の姿があった。「声も聞こえてました。いいタイミングで“頑張れ”って。力んだ時に力が抜けて、それから力が入った。天の声に聞こえました」。もう1人で歩いていける。それを証明した戦いも、自己採点は「甘く見て70点」という。「一生、満足な試合なんてない」と言った伊調は「北京からの4年もあっという間だった。リオへの4年もあっという間だと思う」と、前人未到の4連覇への挑戦を示唆していた。

 ◆伊調 馨(いちょう・かおり)1984年(昭59)6月13日、青森県八戸市出身の28歳。2歳から八戸クラブでレスリングを始める。中京女大付高(現至学館高)―中京女大(現至学館大)―ALSOK。高2の01年にクイーンズ杯56キロ級で当時世界女王の山本聖子を撃破。翌02年から五輪階級の63キロ級に本格転向。世界選手権は同年の初優勝を皮切りに通算7度V。48キロ級の姉・千春(現八戸西高教)とともにアテネ、北京と連続で姉妹五輪出場を果たし、連覇を達成。北京五輪後にカナダ留学などで約1年間休養したが、09年に復帰した。1メートル66。

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