×

2度目の五輪 北京ではエースとして

[ 2008年8月7日 06:00 ]

ピンポン球を手に北京五輪への抱負を語る福原

 その後も福原は世界大会に出場を続けるが、納得できる戦いからは遠ざかっている。15歳で出場した04年アテネ五輪こそシングルスで16強進出と健闘したものの、05年上海世界選手権、07年ザグレブ世界選手権はともに3回戦で散った。14歳の自分が残した成績の重みを知るには、時の経過が必要だった。

 「パリの時はベスト8が凄いことかどうかも分からなかった。2回、3回と出場するようになって、ベスト8は難しいってことが分かった」
 何も知らずに勝ち進んだ14歳のころと今は違う。壁の高さを痛感し、19歳で迎える2度目の五輪。平野、福岡を加えた日本女子3選手の中ではやはり最年少だが、立場は変わった。世界ランクは3人中最上位の12位、国際大会の経験も誰よりも豊富だ。北京では日本得意の団体戦も採用される。シングルスだけでなく、エースとしてチームを引っ張る責任がある。
 「自分が持っているものを全部出して悔いの残らないようにして、笑顔で日本に帰ってきたい」
 中国初開催の歴史的イベントは、福原にとっても特別な意味を持っている。幼いころから武者修行に出向き、05、06年は中国スーパーリーグでプレー。現地での人気も高く、日本選手団の中で最もアウェーの雰囲気を感じない選手と言っていい。「たくさん知り合いもいるし、1人でも多くの人に見てもらえるようにしたい」。5年前、花の都・パリで世界への思いはつぼみになった。真夏の北京で表彰台に上った時、それは満開になる。

続きを表示

2008年8月7日のニュース