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環境を求めて 清風高から国士舘高へ

[ 2008年8月7日 06:00 ]

観客に応える石井

 2度目の全日本選手権制覇で北京五輪代表の座をつかんだ21歳の、柔道着に縫い込まれた「刀八毘沙門(とばつびしゃもん)」の5文字。8本の刀を持ち全方向からの攻撃に対応するという、毘沙門天の戦う姿を表したものだ。その刺しゅうのきっかけは、5年前の冬にあった。

 大きな転機を迎えていた。03年1月1日付で、大阪の名門・清風高から全国屈指の強豪・国士舘高へ編入。規約で高体連主催の公式戦は1年間の出場停止処分となったが「そんなことより、強い選手と練習ができる方がうれしかった」と振り返る。「僕はカベを感じるとうれしくなる。もっと強くなれるじゃないかと。毎日強い選手と練習できて楽しかった」
 いくら強がっても、16歳にとって楽しいことばかりではなかった。国士舘は、小学校から日本一を争ってきたエリートが中高一貫で世界へ向かう場所。途中で入ってきた男が、簡単に溶け込めるほど甘くはない。まして、初めて親元を離れた寮生活。中高の柔道部を預かる岩渕公一監督は振り返る。「思い通りにならないことも多いし、トイレでピーピー泣いていた。たまに実家に電話をかけて言うのは“同部屋のやつがテレビを見ていてオレが寝られない”とか、たわいもないことだった」

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2008年8月7日のニュース