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五輪まで1年切った時期に…ショック大きい

[ 2008年8月7日 06:00 ]

アテネ五輪のあん馬の演技で3位になり銅メダルを獲得した鹿島

 モチベーションが高かっただけに、反動もまた大きかった。04年アテネ五輪の団体総合金メダルに貢献した鹿島は、06年1月に慢性的な痛みを抱えていた左肩を手術。同年のオーフス世界選手権出場を断念しただけに、07年9月のシュツットガルト世界選手権の持つ意味は重かった。

 06年に10点満点を廃止した新採点法が導入されて以降、自身初の世界大会。そして最大目標の北京五輪の前哨戦。だが、直前合宿のあん馬の練習で左手甲を強打した瞬間、その舞台に立つ資格を失った。
 「今までで一番、ショックが大きかったかもしれない。頑張ってきた分、悔しさもあった。肩の手術をするとき、シュツットガルトの世界選手権に出て北京に向かうという思いがあったから。描いていたことが現実になってきていたのに…」
 代表チームから離れ、8月25日に緊急帰国。約12時間のフライト中、悔しさと情けなさは鹿島が眠りに落ちることを許さなかった。28日に都内の病院に入院し手術。テレビで見た世界選手権では、補欠から繰り上がった水鳥が4個のメダルを獲得するなど活躍したが、故障のショックが大きく記憶は断片的にしか残っていない。
 「あの時のことは、あまり思い出せないんです」。わずか5日間の入院生活でも、「とにかく長かった。2~3週間は入院していた」と勘違いするほどだった。悩みの深さは体にも影響を及ぼし、退院してからも不眠が続く。「引退」の2文字が、頭の中で絶えず旋回していた。
 「もう北京まで時間がない。(現役を)続けるかどうか迷っていた。悩んでいても次の日になったら前向きな答えが出るタイプだったけど、この時は前に進むということが思い浮かばなかった。リハビリをしても練習に行っても、気持ちが入らなかった。家にいても悩んでいたんだと思う」

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2008年8月7日のニュース