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初めての五輪 移籍…2度目の転機

[ 2008年8月7日 06:00 ]

インタビュー中に笑顔を見せる栗原

 2度目の転機は、絶頂にあった04年秋だった。この年の夏、「プリンセス・メグ」ともてはやされ、期待されたアテネ五輪で日本はベスト8にとどまった。初の大舞台には、メダルに届かなかった結果とは別の衝撃が、栗原を待っていた。

 「以前に何度も対戦したことのあるチームが、アテネのコートではまるで違うチームだった。プレーも選手の顔つきも違う。特に初戦のブラジルは凄かった」
 世界のトップが本気になった時の怖さを初めて知った。完全に雰囲気にのまれていた。アテネから帰ってから栗原がとった行動は、移籍先がないまま、前年に入ったばかりのNECを退団するという劇的なものだった。
 「アテネでは本当に厳しい現実を突きつけられた。とにかく何かを変えたかった。この先のバレー人生を考えたら、何かを変えなければいけないと思った」
 もともとNECのバレーボールスタイルに合わずに悩んでいた。チームから再三慰留され、両親にも反対された。それでも、栗原の気持ちは変わらなかった。最後はNECも了承し、移籍先はセリンジャー監督が率いるパイオニアに落ち着いた。世界を知る外国人指導者のもとで再出発するのが最良と判断した。
 「両親や周囲に相談することは大事です。でも、言われるがままにしてしまうと、あとでその人のせいにしてしまうし、逃げ道にしてしまう。だから何ごとも最後は自分で決めます」

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2008年8月7日のニュース