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転校を境に一気に日本の頂点へ

[ 2008年8月7日 06:00 ]

ガッツポーズを見せる栗原

 毎晩2階の部屋で泣いていた栗原の背中を押してくれたのは、母・厚子さん(52)の一言だった。

 「行かなくても後悔するし、行っても後悔する。どっちの後悔がいいの?自分で決めなさい」
 娘を見かねた母の言葉で目の前が晴れた。
 「挑戦して後悔したほうがいい」
 1人で転校を決断した。10年を経た今、栗原は13歳での決断をこう振り返る。
 「(大津中に)もし行っていなかったら、行った時にどうなったか気になって後悔したと思う。行ってチャレンジしてダメだったら、あきらめがつく。行ってよかった」
 悩んだ時は、自分で決断する。そして、決断を後悔しない。この時の経験が、その後、もう1度訪れる大きな転機で栗原を救うことになった。
 大津中の練習はハードだった。1日1時間が毎日3時間以上になり、休みもない。学校から帰れば、アパートでの独り暮らし。食事は近所に住むバレー部の同級生の家族に面倒を見てもらったが、あまりの練習のきつさに夕食中に寝てしまうこともあった。ただ「帰りたい」とは1度も口にしなかった。
 「意地になっている部分もあった。1度決めたらやり遂げたい。親には帰ってきていいよと言われたけれど、絶対に帰らないと決めていました」
 中3で全国中学大会ベスト16に入ると、栗原の名は全国に知れわたった。卒業後は山口・三田尻女高(現誠英高)に進学。3年間で4度、全国制覇した。3年時には日本代表入り。19歳だった03年W杯では先発でコートに立った。一気に日本の頂点に駆け上がった。

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2008年8月7日のニュース