谷村新司さんはなぜジャンル超えた作品を生み出せたのか 音楽評論家・田家秀樹氏が語る

[ 2023年10月18日 05:10 ]

09年のNHK紅白歌合戦で、「チャンピオン」を熱唱した「アリス」の谷村新司さん

 谷村新司さんのデビュー直後から親交があった音楽評論家・田家秀樹氏(77)が17日、谷村さんがなぜジャンルを超えた多彩な作品を生み出すことができたのか、その秘密について語った。また、谷村さんがリーダーを務めていたバンド「アリス」の結成秘話も披露した。

 数々の大ヒット曲を生んだ谷村さんの凄さを「普遍性と独自性」と田家氏は指摘する。高校時代に結成した「ロック・キャンディーズ」では青春フォークのグループとして音楽活動を開始。しかし、1971年暮れに結成された「アリス」ではロック、フォーク、シャンソン、歌謡曲とさまざまなジャンルを超えた作品を作り、81年にソロになると、さらに幅広い世界をファンに届けた。

 「お母さんが長唄の三味線奏者。純邦楽という、現代音楽から切り離された日本の伝統音楽を聴いて育ったという環境は、その後の谷村さんの音楽性と無縁ではないと思う」と田家氏は推測する。また「アリス」結成直後の74年には、年間303本を数えた猛烈なライブツアーを実施した。「ヒット曲がまだない時期だったが、ライブは歌の原点である、純粋に感動を伝えたいという普遍性が最も表れる場所だった」。一方で、谷村さんはシャンソン歌手の金子由香利に憧れ、その影響を大いに受けたとされる。「それが谷村さんの作品の深みとスケールを生んだ。語りのような歌と悲劇性が特色となった」と情景が思い浮かぶような“谷村ソング”の背景を説明する。

 「アリス」時代はメンバー3人の個性が融合されてヒットを生んだが、ソロでこそ、谷村さんの本領が発揮されたとも言える。「歌の普遍性とオリジナリティーの融合をみんな狙う。新しいものをやっても奇をてらっているように見えず、流されないのは、ちゃんとした土台と柔軟性が必要なのだが谷村さんにはあった」(同氏)。それが年代を超えて支持された作品が生まれた理由だという。

 ソロとして活動の場を海外にも広げたが、「自分の母艦はアリス」と公言していた谷村さん。「彼はずっとほかの2人の様子を見つめていて、アリスとして再び一緒にできるタイミングを見計らっていた。ソロとして自分のやりたい音楽をする一方、3人だからできる音楽の両立を目指したのは彼だからこそ」と、志半ばでの逝去を悼んだ。

 ≪誕生秘話 ドラム運べていたらロックバンドに≫文化放送「谷村新司のセイ!ヤング」が1972年にスタートした際、同番組の構成作家で番組の月刊誌を編集していた田家氏。「谷村さんの“ロック・キャンディーズ”がヤングジャパンというプロダクションに所属したことが始まり」と説明する。71年に同事務所が北米ツアーを実施し、「ブラウンライス」という別のバンドでドラムを叩いていた矢沢透(74)もツアーに参加。谷村さんが「サンタナとリッチー・ヘブンスみたいなバンドを一緒にやろう」と矢沢を口説き意気投合。帰国後、堀内孝雄(73)を誘い「アリス」が結成された。谷村さんはアイビースタイルで青春フォーク、堀内はザ・ビートルズ、矢沢はロック志向で音楽の方向性はバラバラだった。

 当時、ライブ移動の際に自分で楽器を運ぶしかなく、矢沢はドラムセットではなく、運びやすいコンガという構成になった。「結果的にそれがアリスのサウンドになった。もしドラムを運べていたら、ロックバンドになっていただろう」と田家氏は裏話を披露した。

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