「レツゴー三匹」正児さん死去…多芸で奇才な芸人そのものだった

[ 2020年10月3日 05:30 ]

レツゴー正児さん死去

漫才トリオ「レツゴー三匹」の(左から)レツゴーじゅんさん、レツゴー正児さん、レツゴー長作さん
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 【悼む】もう49年前になる。大相撲春場所前に“新弟子記者”として大阪・谷町の銀山寺にある花籠部屋の宿舎に連日、通っていた。そこで毎日、稽古の見学に来ていたレツゴー正児さんを、故常盤山親方(元関脇・若秩父)に紹介してもらった。

 その後、親友だった故大関・魁傑関(放駒親方)も交えてちゃんこ鍋やゴルフもご一緒する仲に。大阪・北新地では正児さんの前説で魁傑関がレツゴー三匹の曲「新地ワルツ」を歌ったこともあった。

 スポニチ大阪本社発行版のゴルフ面責任者になった2000年からは正児さんと「風まかせ 腕まかせ」(同年4月~2005年12月)、「しっぱいが一杯」(08年9月~10年3月)というゴルフ川柳コラムを掲載。カラーのイラスト付きながら、快く引き受けてもらったことが今も思い出される。

 原稿を自転車で会社まで届けてくださって、その後は黒門市場やミナミで一緒に飲むのが定番に。私の還暦コンペでは司会を務めていただき、逆に正児さんの古希の時は町内の方々と一緒にお祝いをさせてもらった。

 多芸で奇才な芸人そのものだった。それだけに胸が詰まる思いである。(合田 重彦=スポニチOB)

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