あの時の改元

[ 2019年5月5日 09:30 ]

 【我満晴朗 こう見えても新人類】やれ平成最後やら令和初やらかまびすしい。いちいち言わなくとも分かってるわい!と、いささか食傷気味になりつつも自分勝手に思い出したのは昭和最後の日だ。過去の記憶を徐々に失う昨今にあって、1989年1月7日の出来事はかなり鮮明に再現できる。

 筆者はラグビーの全国高校大会を取材するため、大阪市内のホテルに滞在していた。当日は茗渓学園(茨城)―大工大高(大阪)の決勝を花園で取材する予定で、午前8時に起床。いつもの習慣でベッドサイドに据え付けられたラジオのスイッチをひねると、荘重なクラシック音楽が延々と流れている。

 「?」

 最初はその手の番組なのだと思い込んでいたが、やがて始まったニュースで事実を知る。慌ててホテルをチェックアウトし、担当していた茗渓学園の宿舎に押っ取り刀で駆けつけた時、すでに決勝中止が決まっていた。

 扱いは大工大高との「両校優勝」。午後1時には花園ラグビー場で表彰式が行われたが、当然ながらあまり華やかなムードではなかった。スタンドには両チームの応援団が到着しており、ゲームが始まってもおかしくない雰囲気。なんだか割り切れない思いを抱きながらも取材を済ませ、デスクに連絡を入れて指示を請う。

 筆者「…ということなんですが、どんな原稿にすればいいですか?」

 デスク「そんなの分かんねえよ! 適当に50~60行くらい書いて送っといてくれ」

 無理もない。筆者はもちろんのこと、40代半ばの上司にとっても天皇ご崩御なんて初体験なのだから。

 例によって訳が分からないまま取材要素を全て盛り込んだ原稿を完成させたら81行に達していた。通常なら指示された行数に近づける推敲作業を行うのだが、この日に限ってはそれもあまり意味がなさそうと、そのままファクスで送稿。しかし、こんなんで大丈夫か?

 疑心を抱きながら新幹線で帰京。午後9時頃に車窓から目撃した品川ビル街の暗黒夜景は異様だった。東京駅で最終確認の電話を入れると「もういいよ」の一言。特に文句を言われなかったのは、デスクも特別紙面作りに追われてそれどころではなかったからだろう。

 実は当時、大会中止となったのは高校ラグビーくらい。サッカー高校選手権、バスケットボール全日本選手権、ラグビー全国大学選手権などは開催日をずらして続行している。8日初日予定の大相撲初場所は開幕を1日遅らせただけだった。今思えば高校ラグビーも2日ほど喪に服した後に決勝を実施、で良かった気がする。

 あの時に茗渓学園を率いていた徳増浩司監督は現在、ラグビーW杯2019組織委事務総長特別補佐だ。令和最初の当コラムとしては、同大会の成功を祈ってやまない。(専門委員)

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