佐藤浩市 父に感謝「やりたい芝居をやれるのは三国連太郎がいたから」

[ 2013年7月19日 19:25 ]

「三国連太郎 海峡を渡る日~お別れの会」で喪主を務めた佐藤浩市

 4月14日に亡くなった俳優の三国連太郎さん(享年90)のお別れの会「三国連太郎 海峡を渡る日~お別れの会」が19日、都内のホテルでしめやかに営まれた。

 喪主を務めた長男で俳優の佐藤浩市(52)は、献花を終えて取材に応じ、「百箇日を迎えて、ひと区切り、あちらに逝くんだろなと。彼がどう思うかわからないけど、役者らしい送り方はできたんじゃないかな。こういう演出が“しゃらくせえ”って思うのか、はにかんで向かっていくのか分からないけど、どう思っているのかな?」と感慨深げに話した。

 お別れの会のタイトル「海峡を渡る日」は、映画界を海峡を渡るように生きてきた三国さんの代表作である「飢餓海峡」(1965年)にちなんで佐藤が名付けたもの。「現世から来世に向かっていくのは海峡なのかなと思って。ただお別れの会っていうのは寂しいかなと、ちょっと大げさなネーミングにさせてもらった」。

 芸能関係者だけで800人が参列。「人の顔を見ると感慨深いものがある。目に焼き付けて見送ってやっていただきたいと言うまでもなく、皆さん、そうしてくださったと思う。皆さんの話を聞かせていただいて、楽しくもうれしい時間です」。

 佐藤は亡くなった翌日に行われた会見で、父親としての三国さんについて「ひどいよ、そりゃあ」と話していた。あれから3カ月経った。「それは変わらないですよ」と笑顔を見せつつ、「それは変わらないですけど、それ以上に、あの人が僕に残してくれたもの、自分がやりたいと思う芝居をやらせていただいていることは三国連太郎という人がいたからこそ。彼から受け取ったものは、父親として受け止める人生の中のものより数倍も濃厚なものだったかもしれない。それを僕がどこまで理解したかは分からないけど、自分の中では守っていきたいなと思う」と続け、偉大な父への思いを口にした。

 一番印象的な表情とか言葉は?との質問には「ないなぁ。そのほうがらしくていいでしょ」と笑顔で答えていた。

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2013年7月19日のニュース