【大学スポーツ】「立教スポーツ」編集部

立教大学【上野敦大・引退記念特集】<中編:長く苦しい2年間>

[ 2017年3月25日 05:30 ]

上野敦大・引退記念特集

積極的に声をかけ、投手が投げやすい捕手になることが理想だと語る上野(C)「立教スポーツ」編集部
Photo By 提供写真

 ◎長く苦しい2年間

 チーム内での評価は上がっていったが、試合出場の機会には恵まれなかった。1年次は大学野球のレベルに追いつくことに必死であった事に加え、雑用・一人暮らし・学業など初体験の事ばかり。めまぐるしく変わる環境について行くことだけで精一杯であった。

 2、3年になるとその生活にも慣れ、試合に出ることも無くただ練習するだけの代わり映えの無い日々が続いた。「1軍と2軍の間を行き来していたので、1軍にずっといられるようにしようって思う気持ちが唯一支えで。長い2年間でした」。

 一つ上の学年には鈴木(現JR東日本)、松本(現西濃運輸)。一つ下の学年には高田(コ3=浦和学院)とポジション争いは常に厳しいものであった。1軍にいられても4番手の捕手。「実力に大差があるとは思ってなかったので、どうしたら良いのかも分からなくて」。試合に出られない悔しさだけが募り、心が腐りかけていく。

 それでも練習の手を抜くことは無かった。その背景には二つの思いがあった。一つ目は彼の野球をする上での信念を貫くためだ。「私生活でも、プレー中でも信頼される選手であり続けたい」。捕手というポジションの性質上、「信頼関係」は最も大切にしてきた。練習を怠らないからこそ、常に応援され、周囲が認めてくれる選手になれる。「上野が出ているから、自分も頑張ろう。上野ができないんだったら、仕方が無いと思われるような選手になりたくて練習してましたね」。

 二つ目は家族の存在だ。野球はお金のかかる競技。決して裕福な家庭では無かった彼が、東京の私立大学に入り、野球を思う存分できたのも両親の支えがあってこそだ。試合で良いところを必ず見せたい、二人を喜ばせたい。そんな思いが彼を突き動かしていた。

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