【大学スポーツ】「立教スポーツ」編集部

立教大学【佐藤拓也・引退記念特集 〜神宮に刻んだ102の足跡〜】<後編>

[ 2016年11月8日 05:30 ]

佐藤拓也引退記念特集 ~神宮に刻んだ102の足跡~

苦しんだ時間はムダではない。2年後にその名が呼ばれることを願う(C)「立教スポーツ」編集部
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 ◎栄光の影

 10月20日、2016年プロ野球ドラフト会議において立大から3選手が指名された。3選手が同時に指名される快挙に、立大野球部寮が歓喜に包まれた。プロ入りを決めたのは、澤田圭、田村、田中和――。そこに“佐藤拓也”の名前はなかった。まさかの指名漏れ。大学球界屈指の実績と知名度を誇る彼でも、プロ野球選手になる夢を叶えることはできなかった。

 その2日後、宿敵・明大との試合を迎えた。立大にとっては一戦でも落とした時点で優勝への望みがついえるというまさに背水の陣。ドラフト会見時、明大戦について主将・澤田圭はこう語った。「4年間一緒に戦ってきた佐藤拓也が最後絶対にやってくれると思います」。

 様々な思いが交錯する中、試合は9回、二死。田村が意地の適時三塁打を放ち1点差に迫る。一打同点の好機で、打席には佐藤拓。マウンドに立つのは明大エース・柳。逆転劇の舞台は整った。球場にいる誰もがドラマを期待し、勝負を見守る。

 だが、ドラマは起きなかった。佐藤拓が放った打球は左飛となり、ゲームセット。立大のVの可能性が消滅したその瞬間、彼は泣いた。試合中に感情をあまり出さない彼がうずくまり、動けなかった。計り知れない悔しさが、涙となりとめどなく溢れ出た。

 ◎終わらぬ挑戦

 「苦しんだ時間はムダじゃなかった」。通算100安打を達成した際、彼は2年次秋以降の不調時のことをこう表現した。同じように、彼ならきっとあの涙も自らの糧とし、前進できるはずだ。社会人野球・JR東日本へと進み、2年後のプロ入りに再び挑戦する。

 積み上げること102本。何度もチャンスを切り開き、試合を決めた。その快音は、いつだってチームに勇気を与え、観衆を熱狂させるものだった。チームの期待、重圧、命運を一身に背負い、苦しみながらも重ねたその数字は、偉大なる功績として燦然と輝く。

 「いつまでも引きずっていても前に進めない。今はもう頑張ろうという気持ちになっている。2年後、走・攻・守すべてにおいて一回り、二回り成長した姿を見せたい」。(佐藤拓)

 終わらぬ佐藤拓也の挑戦。栄光も挫折も味わった立大での4年間が、必ずや夢への道しるべとなるだろう。立ち止まる暇などない。2年後に向けて、男は再び走り出す――。

 ◆佐藤拓也(さとう・たくや)173センチ76キロ、コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科4年、茨城県出身、右投げ左打ち、外野手、浦和学院高から立大に進学し、1年秋からレギュラーに。リーグ史上32人目、立大史上6人目となる通算100安打を達成。信条としている言葉は「感謝」。100安打の記念球は母親に送ったという

 ◎編集後記

 私事ではあるが、私が六大学野球の魅力を知ったのは昨年春のことだ。入学後すぐに「立教スポーツ」編集部に入部した私は、野球部担当になった。

 「あの3番打者が凄いんだよ」。当時はそれほど馴染みのなかった六大学野球。初めての取材で知識の乏しい私に先輩がそう教えてくれた。目線を送ると、赤いバットを携えた選手が打席に立っていた。小柄な体格と裏腹に、ルーティンや構えには一流打者の風格が漂う。するとどうだろう。鋭いスイングが捉えた白球が、瞬く間に右翼席に突き刺さった。私が六大学野球に惚れた瞬間だった。

 2年間の取材生活を通して、私は六大学野球に夢中になった。神宮球場の赤土、鳴り響く伝統の応援歌、繰り広げられる熱戦。何より最後の学生生活を白球に懸ける男たちの姿に、何度も何度も胸を打たれてきた。そしてその中心には、いつも佐藤拓也選手がいた。

 残念ながら先日の「立教スポーツ」ドラフト号で紙面に掲載する願望は叶わなかった。だが、だからこそ、彼の4年間の功績を称えるとともにこの言葉を伝えたい。「お疲れ様です。ありがとうございました」。(「立教スポーツ」編集部 文・大宮慎次朗/編集・唐澤大)

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