【内田雅也の追球】いまが「しあわせ」の時 阪神悔恨の「10・22」最終決戦 田淵さん「あれが青春」

[ 2021年10月23日 08:00 ]

巨人との最終戦決戦に敗れた試合後、取材に応じる阪神・田淵(1973年10月22日、甲子園球場)
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 小説家の万城目学氏が日々の執筆作業について「しんどい」「おもしろくない」「くるしい」……と<さながらアリジゴクの巣に囚(とら)われたアリ>のようだと書いている。

 日本自動車連盟(JAF)機関誌『JAF Mate』の『幸せって何だろう』に寄せていた。

 ふと、小説家になろうと苦しんでいた20代を思い返す。<執筆を唯一の目的として、すべての時間を注ぎこむ今の生活は、まさしく自分が求めていた、しあわせの最終形ではないのか?>

 遠藤周作氏の「苦楽(くるたの)しい」である。臨床心理学者・河合隼雄氏との対談で「小説を書くというのは苦楽しいことです」と語っていた。今年2月1日付、キャンプイン当日の紙面で書いたのを思い出す。河合氏は「苦と楽は表裏一体。幸福とは苦難がないことではない。苦難に負けないことだ」と解説している。

 この日、阪神は試合がなく、ヤクルトも神宮での試合が雨天中止となった。幸せについて思いを巡らせたのはつい先日、田淵幸一さん(本紙評論家)にお会いしたからだ。阪神時代の思い出を聞く機会があった。

 「懐かしいよ」と何度も繰り返した。「あんなこともこんなことも、いろんなことがあった。タイガースにいたころが、青春だったなあ」

 ドラフト1位で阪神入りした22歳から西武移籍の32歳まで10年間を過ごした。1度も優勝できなかったが、最も近づいたのが5年目の1973(昭和48)年だった。

 そして、この日、10月22日は阪神、巨人がともにシーズン最終戦で「勝った方が優勝」という大一番があった日である。

 甲子園で0―9と惨敗し優勝を逃した。あと1つ勝つか、引き分けても優勝だった20日の中日戦(中日球場=現ナゴヤ球場)に続いて敗れた。

 「全力を尽くしたが届かなかった。苦い思い出だよ。あれから1週間、マンションから外に出られなかったからね」

 山際淳司氏は『最後の夏 一九七三年 巨人・阪神戦放浪記』(マガジンハウス)で<何もかも面倒だった。たまっていた疲れが一度に出てきた。負けた悔しさもつのってくる>と書いている。

 それでも、75歳となった田淵さんはいま「あれが青春だった」と懐かしんでいた。

 いまの阪神を思う。シーズン最終盤まで優勝を争っている。心も体も苦しい。しかし、野球選手にとって最高の歓喜に向け、懸命に戦っているいまこそが幸せなのだ。

 矢野燿大監督が就任以来言い続けている「誰かを楽しませる」は、幸せへのアプローチとなる。

 名将・広岡達朗氏も<相手が喜ぶことをせよ。そこに本物の幸せがある>と著書『広岡イズム』(ワニブックス)に記している。<ただし、「楽しむ」ことと「楽(らく)する」ことは、同じ「楽」の字を使っていても根本が違います。「楽する」ことは堕落を生みますが、「楽しむ」ことは心を積極的にし、人生をよりよくします>。そして<正しい楽しみ方とは、相手を喜ばせることです。それが自分の心を幸せにします>。

 冒頭の万城目氏が「しあわせな状態」と「しあわせな気持ち」は別だと解説している。プロ野球で言えば、優勝後の祝勝会、ビールかけで美酒に酔うのは「しあわせな気持ち」。ただし、優勝に向かっている「しあわせな状態」の時は、大抵が苦しいものである。

 猛虎たちはいまが幸せな状態だとを受けとめたい。そのうえで、苦しいラスト3試合に臨もうではないか。 (編集委員)

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