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松坂大輔 最後の最後まで考えていた“実験”とは 頭の中でもあがき続けていた

[ 2021年10月19日 21:03 ]

パ・リーグ   西武─日本ハム ( 2021年10月19日    メットライフD )

現役最後の登板となった松坂(撮影・尾崎 有希)
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 西武の松坂大輔投手(41)が19日の日本ハム戦(メットライフドーム)で引退試合を行った。横浜高時代から怪物と言われた右腕だが、伝説といえる数々の投球の裏には、恵まれた才能だけではない発想の転換、考え方もあった。

 短所を長所に変える。非常識にもチャレンジする。そんなことをずっと前から考えてきた。「常識、非常識の線引きは歴史が決めたもの。自分はその線引きはしない」。2007年、レッドソックス1年目だった。1メートル82と、メジャーリーガーの大男に混ざった松坂は、右肘を下げ、低いリリースポイントから投げる道を模索した。それは当時の守護神だったパペルボンから聞いた言葉でもあった。だが「肘を下げて投げる」ことは当時はタブーとも言われた。それでも、「自分でやってみて駄目ならやめればいい。納得して次のステップに進むことが大事」と話してきた。

 投球術にも独特な考え方があった。「逆球をフル活用」「点差が開いたら実験」「苦しい時も、引き出しを全開にしない」などだ。

 西武時代から話していたことは「狙ったコースとは逆に行く逆球は、その球自体は意味のないものが多い。だけど、その1球を打たれなければ、次に生かせる」。捕手の構えたところに行かなくても、ストレスはためない。09年の第2回WBCの2次ラウンド、キューバ戦では相手のベンチから内外角の投球に対する声の指示を見抜き、捕手の城島と話し合った上で、あえて構えたミットの逆のコースに投げて無失点に封じた。

 試合が決した時には必ず何かを試した。「打者の強いコースから少し動く球を投げる。打たれてもいい。打たれたら、自分の中で“やってはいけないこと”の線引きができる。逆に変な反応をしてくれたら、打ち取る選択肢が増える。ヒントがどこに隠れているかは分からない」と話してくれた。メジャー時代には、あえて相手の待っているコースに投げたこともある。

 「1試合の中で“ここがポイント”という時はありますが、そこで全てを出したら、先はない。次の試合でも対戦がある。常に“何か”は取っておかないと」。すべてを開放することはなかった。

 日本球界に戻ってからは、若手にアドバイスを送る時に言うことがあった。「自分で考えて試してみることが大事」。トライ&エラーがあってこそ、体に染みこませることができる。

 最後に松坂が果たせなかった実験がある。それは「腕を振って、どれだけ遅い球で空振りを取れるか。160キロなど速い球に強くなった今のバッター相手に、逆に130キロとか、遅い球でどう勝負するか」と思い描いていた。わずかな可能性を信じ、模索を続ける。特別な存在だった。(倉橋 憲史)

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