松坂大輔が報ステ生出演で率直な思い語る「あれが限界」「生意気な18歳」「野球界に携わっていきたい」

[ 2021年10月19日 22:19 ]

パ・リーグ   西武2─6日本ハム ( 2021年10月19日    メットライフD )

引退登板試合の終了後に胴上げされる松坂(撮影・白鳥 佳樹)
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 今季限りで現役を引退する西武の松坂大輔投手(41)が19日の日本ハム戦(メットライフドーム)後にテレビ朝日「報道ステーション」(月~金曜後9・54)に生出演し、率直な思いを語った。

 この日の日本ハム戦で引退登板を終えた松坂が中継で生出演し、「投げなければどこか未練が残るというか、そういう思いがあったので、今日投げて、改めて、だから辞めるんだよなと思いました」と引退登板を終えた率直な思いを語った。

 最速は118キロだった直球。「力を入れようと思えば、もうちょっと入れられたんですけど、力を入れるとどこに行くのか本当にわからないので、あれが限界でした」と明かした。

 引退登板では日本ハム・近藤健介外野手(28)と対戦し、結果は四球に終わった。選手、スタッフ、観客が総立ちで見守る中の投球に「今まで感じたことのないような球場の雰囲気だった」と振り返った。

 試合後、背番号18は試合後のセレモニーでファンに手を振って応えた。西武ベンチを出て三塁側から最高の笑顔でグルリと一周した。「ファンの方を見ながら、そしてたくさんのファンの人が入っているメットライフドームの景色を見ながら、少し昔のことを思い出しながら、一周させてもらいました」と、過去の光景と重ね合わせていた。

 プロ1年目で16勝を挙げて最多勝を獲得した右腕。プロ1年目を「生意気な18歳だったなと。良い意味でも悪い意味でも」と振り返った。また、99年にイチローとの初対戦で3三振を奪ったことに「イチローさんにはまだ早いと言われたんですけど、確実にあの試合で(プロで)やっていけると思った試合」と自信が確信に変わった瞬間も。

 メジャーから日本に戻ってきてからはケガとの戦いで苦難の連続だった。「お世話になった球団にはとにかく恩返ししたい、チームの力になりたいと思ってやってましたけど、日本に戻ってきてからの、ホークス、ドラゴンズ、最後西武の2年間、球団の方とファンの方と、申し訳なかったなと思います」と無念の言葉も出た。

 「松坂世代」という言葉には「言われていた当初は、あまり好きにはなれなかった」とした。それでも「同世代で頑張っている選手、選手以外の方に『松坂世代です』と、言われることが途中からうれしくなりました。その声があったから、まだまだ『松坂世代』という言葉を使ってもらえるように頑張ろうと思ってここまできました」と支えられた。

 今後については「良くも悪くも野球しかやってこなかった。もちろん、野球界に携わっていきたい。また、外から違う角度で見ていきたい。ほかのスポーツの競技にも興味ありますし、スポーツ以外にも興味があるので、色々なことにチャレンジできたらなと思います」と締めくくった。

 ◇松坂 大輔(まつざか・だいすけ)1980年(昭55)9月13日生まれ、東京都出身の41歳。横浜では3年時に甲子園春夏連覇。98年ドラフト1位で西武入団。1年目に16勝で新人王、最多勝に輝いた。07年にレッドソックスに移籍し、同年にワールドシリーズ制覇。インディアンス、メッツを経て、15年にソフトバンクで日本球界復帰。18年に中日に移籍し、20年に西武に復帰した。日米通算170勝108敗2セーブ。1メートル82、92キロ。右投げ右打ち。

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