【侍JAPANの原点4】ソフトバンク・栗原 「王様」が泣いた夜 仲間を信じる心が宿った

[ 2021年7月23日 05:30 ]

福井・春江工時代に仲間を信じることの大切さを学んだ栗原
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 泣きを入れた夜があるから、今がある。そう回顧するのは、春江工(福井)でソフトバンク栗原を指導した川村忠義氏(47=現福井商監督)だ。12年11月11日、明治神宮大会初出場で宿舎に滞在中。主軸でゲームキャプテンも担う1年生の女房役は不意に「もう、どうしたらいいか分からない」と涙をこらえ、訴えかけてきた。

 「全国の強豪を見てレベルの高さを感じたと思う。自分が王様だと思っていたと思うがチームをうまく乗せられないと打ち明けてきましてね。でも仲間が助けました。あの時から陵矢は本当に伸びました」

 準々決勝の浦和学院(埼玉)戦前日。1年春から背番「2」をつける正妻の訴えで、緊急ミーティングが開かれた。まずは選手間での意見交換。先輩、後輩関係なく、本音をぶつけ合った。一人で何とかしようと思いつめていた栗原の思いをチームで共有。“王様”からリーダーになり、頼もしさは増した。翌日、浦和学院を倒し4強入り。翌春に同校初のセンバツ出場を果たした。3年夏は福井大会初戦だった2回戦で敗退も、強打を評価されてU―18日本代表入りし主将も務めた。

 地元の公立高校で「ユーティリティー侍」の土台は築かれた。守備練習では主に遊撃手と捕手。「今も定期的に連絡を取っていますが、どこを守るだので弱音を吐いたことはないです。中学時代はショートだった野球小僧です。サードも外野も天下一品ですよ」と川村監督は堅守を推す。

 当時の部訓は「逃げない」。栗原は、この4文字が胸にプリントされたTシャツを持参し15年に入寮。6年後、五輪の舞台に立つ。「特別な活躍は考えてません。今できることを精いっぱいやってほしいです」。栗原は入団時、サインの横に「今できることを精いっぱい」と記した。春江工で学んだ仲間を信じる心、どの守備位置、どの場面でも逃げない芯の強さが栗原には宿る。(井上 満夫)

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