【内田雅也の追球】大河の一滴と新春の光 甲子園球場の初日の出に大歓声の戻る日願う

[ 2021年1月3日 11:00 ]

甲子園球場の初日の出(2021年1月1日午前7時15分撮影)
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 甲子園球場はその昔、川だった。1924(大正13)年に誕生するまでは武庫川支流、枝川と申川の水をくみ出し、廃川にして造られた。今年夏に95歳を迎える甲子園には、川だったころの記憶があるかもしれない。

 <空から降った雨水は樹々(きぎ)の葉に注ぎ、一滴の露は森の湿った地面に落ちて吸いこまれる。そして地下の水脈は地上に出て小さな流れをつくる。やがて渓流は川となり、平野を抜けて大河に合流する>。五木寛之は『大河の一滴』(幻冬舎文庫)で<大河の水の一滴が私たちの命だ>と記した。

 そんな永遠を意味する水と生命の物語は、日が昇り、沈み、また昇る太陽の物語でもある。

 今年もまた、甲子園球場で初日の出を拝んだ。1月1日、午前7時15分、光は三塁側アルプススタンドと左翼スタンドの間から差し込んだ。紫色だった場内が赤く、初茜(はつあかね)に染まっていった。西の空には丸い月が浮かんでいた。

 五木の書は1998年発行だが、いまに通じる哲学がある。衛生学による感染症制圧に疑問を投げかけ<新種の、われわれの目に見えないウイルス(中略)が出現>と新型コロナウイルス拡大の世を予告している。

 先の見えない不安な時代である。<大河の水は、ときに澄み、ときに濁る。(中略)ただ怒ったり嘆いたりして日を送るのは、はたしてどうなのか。なにか少しでもできることをするしかないのではあるまいか>。

 泣くのはいいが、泣き言は言わない。現状を受けいれ、前を向きたい。

 昨年12月で85歳を迎えた阪神タイガースもまた、永遠の存在でありたい。監督を務めた吉田義男や岡田彰布らがよく「長いタイガースの歴史にあって、自分が選手や監督であったことなど歴史の一コマでしかない」と話していた。伝統を引き継ぐ現監督・矢野燿大もまた同じことを思っているだろう。長い時間の流れのなかでは監督も選手も小さな存在でしかない。

 しかし、大河の一滴同様、それぞれが永遠のなかの貴重な存在なのだ。

 無人の甲子園球場を前に、超満員のスタンドと大歓声が戻る日を祈り、願った。新春の光が場内を覆い、雲の間から青空が見えた。 =敬称略= (編集委員)

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