ダルビッシュ、パドレス移籍会見で涙した理由 不振時にあったシカゴの記者とのやり取りとは

[ 2021年1月3日 06:00 ]

ダルビッシュ有(AP)
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 昨年12月31日に行われたオンラインでの記者会見。トレードでカブスからパドレスへの移籍が決まったダルビッシュ有投手(34)は、途中で涙をこらえ切れなくなった。不振時に交わした、カブスの本拠シカゴの記者との心の通った会話を思い出したからだ。

 その記者とは、ラジオ局「WSCR―AM」のブルース・レバイン氏。同氏から「君がいなくなると寂しくなる。シカゴでの経験はどうだった?」と聞かれると「難しいな。ちょっと待ってください」とパソコン画面から視線をそらし、声を詰まらせて涙した。

 「ブルースさんは、僕が(移籍)1年目とか2年目の途中まで全然だめでチーム内で浮いているんじゃないかと思っている時、いつも僕のところに来て、手を持って(握手して)話してくれて。それを凄く思い出した」

 レバイン氏に心当たりはあった。移籍1年目の18年6月25日、インディアナ州サウスベンド。右腕を痛めていたダルビッシュが傘下1Aでリハビリ登板した時だった。

 5回を投げて3安打1失点、5三振、無四球の好投。多くの現地の記者は、この結果でメジャー復帰が決まったと考えた。しかし、ダルビッシュ自身は腕の違和感が消えず、その本音を吐露。レバイン氏は真摯(し)な態度でその声に耳を傾けていた。

 18年、ダルビッシュは6年総額1億2600万ドル(当時約137億3400万円)の大型契約でカブスに移籍したが、その時点で1勝3敗、防御率4・95と不振。2度、故障者リストに入っていた。5月29日に出た磁気共鳴画像装置(MRI)検査の結果では特に組織の損傷は見られず、一部のメディアは「繊細すぎるんじゃないか」と見ていたが、レバイン氏は違った。

 「私も6月25日に取材する前は繊細すぎるんじゃないかなと思っていた。だが、あの登板の後、彼は“100%ではない”と数回繰り返した。私は彼の口ぶりから、何かがおかしいのは明らかだと信じた」

 登板後の取材を終えると、ダルビッシュはレバイン氏へ歩み寄り、こう言った。「“あなたの口ぶりから、自分の言葉を本当だと信じてくれているのが分かった。アスリートというより、一人の人間として話を聞いてくれてうれしい。感謝している」。後日、再検査で右肘の炎症などが判明。違和感の要因が繊細さだけではなかったことが証明された。

 レバイン氏はシカゴで39年の野球記者経験がある。サミー・ソーサ、マグリオ・オルドネスらラテン系の選手が言葉や文化の違いに苦しむ場面も、ジョン・レスターやジェーソン・ヘイワードらが大型契約で人気球団のカブスに加入して受ける重圧も、理解していた。ダルビッシュについては「頭が良すぎるというか、周りをがっかりさせたくないと気を使いすぎてしまったのでは」と話した。

 レバイン記者はこのマイナー登板以降も、クラブハウスでダルビッシュの姿を見かけると、歩み寄って握手を交わし、言葉を重ねた。「深い話ではない。家族はどう?とか、シカゴでの暮らしはどう?とか、そんな感じだけどね」。ちょっとしたコミュニケーションの積み重ねが2人の信頼関係を深めた。

 ダルビッシュは言う。「いろんなやり取りを覚えています。記者の人たちにも助けられた。本当に周りに助けられた3年だった。息子もシカゴを離れることで泣いているけど、僕はその100倍くらい泣いている」。日本選手初の最多勝、サイ・ヤング賞投票2位という勲章にも代えがたい、シカゴで得た大きな財産だった。(奥田秀樹通信員)

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