ソフトB 川村隆史さんに届けた吉報 千重夫人「天国で藤井さんとバンザイしてると思います」

[ 2020年10月28日 06:00 ]

ソフトバンク 3年ぶりリーグ制覇 ( 2020年10月27日 )

17年11月、DeNAと戦った日本シリーズの試合前に円陣の中心でナインを鼓舞する川村さん
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 シーズン中の9月15日にくも膜下出血で急逝した川村隆史さん(享年55=3軍コンディショニング担当)。新人合同自主トレなどで指導を受けたナインは突然の別れに戸惑いを隠せなかったが、悲しみを乗り越えて天国に吉報を届けた。仲間、家族にも愛された川村さん。千重夫人が本紙にメッセージを寄せた。

 3年ぶりのリーグ優勝、本当におめでとうございます。ホークスは若い方もベテランの方も、皆さんがそれぞれの立場で努力していて、どんどん強いチームになっているんだなと、生前の主人からいろいろな話を聞いていて感じました。

 主人はとにかく明るい人でした。人を楽しませたり、喜ばせることが好きな人でした。人のために何ができるか…、それをいつも考えている人でした。ホークスでも面白い格好をしたりしていましたが、家族の前でもそう。でも本人が一番楽しんでいたと思います。

 亡くなったときは、野球の試合や新聞は見ることができませんでした。選手や監督から感謝の言葉をいただいたと後から知って、主人がそんなふうに思ってもらっていたことに、感謝しかありませんでした。球団の方からは「ベンチにユニホームを飾らせてほしい」と言っていただきました。大事な時期に個人的なことで迷惑になるのでは、と思いましたが「ぜひ」と言っていただきました。本当にありがたいです。

 主人の仕事の内容は詳しくは分からないですけど、選手のことを常に気にしていました。調子が上がれば喜んでいたし、他球団に移った選手の活躍も喜んでいました。ケガをした選手がいたら寂しそうにしていました。プロ野球選手の経験はないですけど、工藤監督にはトレーニング面に関して自分がやりたいようにやらせてもらっていたみたいで、とても感謝していました。

 結婚したのは主人が福岡に来た1992年。記念日は6月25日です。私の誕生日や記念日は家にいるときにはケーキやプレゼントを用意してくれていました。こんなに長くやれるとは思っていなかったので、いつも「今年も一年を無事に過ごせたね」と言い合って、感謝していました。上の娘が来年に2人目の子を出産する予定で、主人は「もうひと踏ん張りしないとな」とも話していました。ずっと同じチームにいさせてもらえたこと。本当に感謝しかありません。

 改めまして優勝、おめでとうございます。主人は天国で2000年に亡くなられた藤井将雄さん(※)と再会して、2人でバンザイでもして喜んでいると思います。(川村 千重)

 ※99年にリーグトップの26ホールドをマークして「炎の中継ぎエース」と称された藤井将雄さんが、翌00年にチームのリーグ2連覇を見届けた6日後の10月13日に肺がんで死去。31歳の若さだった。巨人との日本シリーズを前にした突然の別れに、首脳陣、ナインだけでなく、当時は1軍コンディショニング担当で35歳と年齢も近かった川村さんらスタッフも悲しみにくれた。

 ○…川村さんは9月15日夜に神戸市内でくも膜下出血のため亡くなった。選手らには翌16日、札幌ドームでの日本ハム戦後に伝えられた。工藤監督は「こういう形でお別れするのはつらい。川村君が天国から見てくれて力をくれたことが、今日の勝利につながったと思います」と言葉を詰まらせた。翌17日の同戦で4勝目を挙げた東浜は「昨晩からずっと祈っていました。毎回ずっと思いながら投げていました。本当に悲しいけど、背中を押してくれた」と涙を流した。

 ◆川村 隆史(かわむら・たかし)1965年(昭40)5月30日生まれ、大阪府出身。大体大、ダイナミックスポーツ研究所を経て、92年にトレーナーとしてダイエー入り。96~15年コンディショニングコーチ、16年からコンディショニング担当を務め今季は3軍を担当していた。今年9月15日、くも膜下出血のため死去。享年55。

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