【内田雅也の追球】明日への「見せる野球」 優勝遠のき、コロナ禍に見舞われた阪神の糧

[ 2020年10月1日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神0-9中日 ( 2020年9月30日    甲子園 )

<神・中(17)> 6回、大野攻略のため2度目の円陣を組む阪神ナイン(撮影・大森 寛明)
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 「甲子園に凡戦なし」と野球好きだった詩人サトウハチローが書いた色紙を覚えている。恐らくコピーだろうが、本物に見えた。子どものころ実家にあった。

 甲子園とは高校野球のことだ。負ければ終わりのトーナメントで、甲子園に出た球児たちは、どんなに大差がつこうが諦めず、懸命に戦う。ひたむきさが胸を打つ。

 「確かに高校野球は美しい。明日なき戦いだ」とヤクルト兼任監督時代の古田敦也が話したのを覚えている。捕手兼任で監督に就いた2006年7月、甲子園で阪神に惨敗した後だった。列島各地で甲子園を目指す地方大会が行われていた。

 「しかし、われわれは違う。プロ野球には明日がある。負けても試合ができる。敗戦の中に明日を探さないといけない」

 この夜の阪神である。すでに0―8と大差がついていた6回裏攻撃前、ベンチ前で円陣を組んだ。相手投手は難敵の大野雄大。勝敗はほぼ決していたが、明日への希望を見つけたかった。

 だが、円陣の後も攻撃は沈んだままだった。2安打、無四球、二塁すら踏めずに零敗となった。

 ただ、惨敗の要因は打線以前に投手を含めた守備のミスにあった。

 自己ワースト8失点で敗戦投手となった青柳晃洋は1、3回表と先頭打者に四球を与えた。これは投手のミスである。

 守備陣は、1回表、併殺コースの遊ゴロをトンネル、二塁送球を捕れずと若い小幡竜平のミスが続いた。3回表無死一塁で左前打をジェリー・サンズは緩慢なチャージで打球を弾き、一塁走者の三進を許した。いずれも失点につながった。

 5回表は1失点した後、2死無走者から大量4失点した。ピンチの連続で守備の時間が長く、球数もかさんだ。青柳はもう体力的に、そして精神的にも限界で、辛抱できなかったのだろう。

 チーム内で新型コロナウイルス感染が拡大している。この日新たに「スタッフD」の陽性が判明し、感染者は9人(選手5人)となった。野球に集中できる状況にない。

 阪神では1957(昭和32)年5~6月、「アジア風邪」と呼ばれたインフルエンザ禍に見舞われた。のべ42人が甲子園球場にほど近い明和病院(西宮市)に入院したそうだ。たとえば6月4日の国鉄(現ヤクルト)戦(川崎)ではベンチ入り15人、うち投手3人という惨状だった。マネジャー・奥井成一が書き残した『わが40年の告白』(週刊ベースボール連載)にある。

 奥井は球団代表・戸沢一隆の許可を得て、連盟に出向いた。1・2軍入れ替えの期間制限を撤廃してもらった。「このままではプロの条件である“見せる野球”ができません」と訴えた。

 今の阪神は優勝への望みは消えかけている。しかし、シーズンは長く、「明日」を見る戦いは続く。気持ちを奮い立たせる糧としたいのは、奥井の言った「見せる野球」、つまりファンに応える姿勢だろう。=敬称略=(編集委員)

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