気がつけば40年(19)怪物が初めて人前で泣いた 江川卓が小早川毅彦に浴びた逆転サヨナラ2ラン
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【永瀬郷太郎のGOOD LUCK!】記者生活40年を振り返るシリーズ。今回は江川卓が2―1で迎えた9回裏、小早川毅彦に逆転サヨナラ2ランを浴び初めて人前で涙を流した1987年9月20日の広島戦(広島)について書きたい。
右肩痛に苦しんでいた江川にとって間違いなくこの年最高の投球だった。スピードガン表示は140キロしか出なかったが、打者の手元でホップする感覚。全盛期をほうふつさせるテンポのいい投球で、午後6時試合開始の試合は2時間ちょっとで最終回を迎えた。
先頭の正田耕三を三直、代打・長内孝を3球三振に取って簡単に2死となった。続く高橋慶彦の打球は一、二塁間のゴロ。二塁手の篠塚利夫(のちに和典)が捕球態勢に入っていたところへ、一塁手の中畑清が飛びついた。
一塁ベースカバーに入った江川への送球は本塁側にそれて慶彦が生きた。記録はヒットになったが、中畑が「あれは完全にオレのエラー。ちゃんと投げていれば…」と今も悔やむプレーとなった。篠塚は「中畑さんが一塁に入ってくれていたら普通にアウトだったのに…」と話している。
ゲームセットのはずが、2死一塁となって、迎えたのは小早川。7回にカーブを右翼席に運ばれた法大の後輩だ。
最後の打者はその試合で一番速いストレートで三振に取る。それが「江川卓」の美学だった。1ボール2ストライクから決めにいった140キロがインハイに外れ、カウント2―2からの5球目。小早川は次もストレートが来ると信じて疑わなかった。
「江川さんのマウンドでの雰囲気がそうでしたし、山倉さんが“言うこと聞かないんだから、もう”とぼやいてるのが聞こえましたから。あの打席は真っすぐしかこないと思っていました」
カーブの要求を拒否された捕手の山倉和博はせめての抵抗か外角低めに構えたが、渾身の一投は真ん中高めに入った。今度も140キロ。完ぺきなタイミングで捉えた小早川の打球は、カクテル光線を浴びてライトスタンドに飛び込んだ。
江川にとってはまさかの逆転サヨナラ2ラン…。マウンドに膝をつき、しばらく動けなかった。罪の意識にさいなまれる中畑に促されてようやく三塁側のベンチへ。左手でバッグを持ち、三塁フェンス沿いを歩いて帰りのバスへ向かった。
赤く染まった目に涙がいっぱいたまっていた。下唇をきつくかんでこぼれるのこらえている。言葉は出ない。「今季最高のピッチングだったね」の問いかけに、わずかに首を縦に振っただけだった。
後で分かったことだが、報道陣の前では必死にこらえていた感情がバスに乗って私たちの視界から離れて爆発したらしい。最後部の座席に座ったとたん、声を上げて泣き出したという。
その翌日、巨人の宿舎、広島グランドホテルに詰めていると、江川はいつものように昼前にロビーに降りてきた。この日は同じホテルで午後1時から広島の「鉄人」衣笠祥雄の引退記者会見が行われることになっていて、番記者数人と近くの喫茶店に行った。
江川は前夜号泣したのが信じられないくらいすっきりした表情で「みんなの原稿、ファックスで取り寄せて読ませてもらったよ」と言って番記者を見渡した。
私は前夜の原稿の最後を「肩の限界と戦いながら、本格派のプライドを見せた最後の速球勝負。初めて見せた悔し涙は怪物・江川の再挑戦へのスタートと見たい」と締めくくった。
これには前段がある。3試合連続完投勝利を挙げた8月27日の大洋戦(後楽園)の原稿で「優勝のために投手生命を完全燃焼、有終の美で引退――考えられないことではない」と引退の可能性を示唆していたのだ。
156球の球数を投げたにしても、一塁側ベンチに腰掛けての囲み取材で投球内容をほとんど覚えていない。右肩についても「正直言ってもうぎりぎりのところまで来ている」と告白した。囲み取材で口にするのは初めてで、ただならぬ気配を感じさせた。他にも引退につながるサインはいくつかあった。私はこの時点で江川は8―2で辞めると思い、引退の可能性を匂わせたのだ。
それがこの広島戦で5―5に後退した。小早川に打たれたとはいえ、私の中にある「江川卓」のピッチングだったからだ。だからこそ期待込みで「再挑戦へのスタートと見たい」と結んだのである。
「オレのはどうだった?」と聞いたら「うーん、どうかなあ」ととぼけられたが、お茶を飲みながらひとしきり話が終わったところで江川が「松茸が食べたい」と言い出した。
喫茶店のご主人に調べてもらったら、市内に昼間から松茸のフルコースを食べさせてくれる料亭があるという。予約してもらい、ぜいたくな昼食となった。
焼き松茸から土瓶蒸し、天ぷら、松茸御飯にお吸い物…。私の中で小早川の逆転サヨナラ2ランは引退ではなく、松茸のフルコースとセットになっている。(特別編集委員)
◆永瀬 郷太郎(ながせ・ごうたろう)1955年9月生まれの65歳。岡山市出身。80年スポーツニッポン新聞東京本社入社。82年から野球担当記者を続けている。還暦イヤーから学生時代の仲間とバンドをやっているが、今年はコロナ禍でライブの予定が立っていない。
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