センバツ中止で高校野球は選手を守る道を選んだ

[ 2020年3月11日 18:04 ]

甲子園球場
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 【君島圭介のスポーツと人間】日本高野連の英断を全面的に支持する。おそらく新型コロナウイルスの感染拡大の中でもセンバツは開催可能だし、安全を確保できただろう。高校野球には圧倒的な周囲のサポートがある。

 学校の大きな支援を受け、選手の移動には除菌済みのバスが使用出来る。マスクだって「自分の分を使って欲しい」と名乗り出るファンや関係者は多い。OBも最善を尽くすだろう。

 主催の新聞社や中継局のバックアップも大きい。無観客だとしても甲子園球場はほぼ無償で戦地を提供し、世界に誇れるグラウンドキーパーが最高の舞台を整えてくれる。そして都道府県から集まる経験豊かな大会役員たちが、選手にウイルスを寄せ付けない最善の策を講じたはずだ。

 それでも開催しなくてよかったと思う。他競技では次々に全国選抜大会の中止が決定している。悔し涙を流した他競技の選手たちが、テレビ中継される高校球児のプレーを心から応援できるだろうか。

 きっと彼ら、彼女たちはこう思うだろう。「なんで野球だけ特別なの?」。今や野球の競技人口が群を抜いているわけではない。まして全国大会まで勝ち上がる選手たちの努力の量に差があろうはずもない。前述したように野球は特別なサポートを受けている。だがそれは同じ条件下でのみ享受していい特権なのだ。

 ここまで決断を先延ばしした高野連の思いは痛いほど伝わる。ウイルスの感染率が急速に減少するかもしれない。そんな奇跡を信じたいほど高野連は球児たちにプレーして欲しかったのだ。

 ただ野球だけ特別扱いすれば反感を生むのは避けられない。高校スポーツだけではない。小、中学校の各競技が大会を中止、または延期している。その中で無観客でもセンバツだけ強行すれば高校野球は「嫌われ者」になってしまう。

 高校野球の全国大会の開始は1915年にさかのぼる。第1回全国中等学校優勝野球大会は甲子園ではなく、大阪・豊中グラウンドで開催された。これが夏の甲子園の起源だ。そしてセンバツこと選抜高等学校野球大会は、1924年に春季選抜中等学校野球大会として始まった。

 戦争も震災も乗り越えてきた。その歴史はどんな競技大会をも圧倒する。一度立ち止まって再び突き進めばいい。(専門委員)

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