阪神ドラ1西純矢 国際試合での挫折から生まれた決め球

[ 2019年11月14日 08:00 ]

中学3年の8月に野茂ジャパンでアメリカ遠征。地元チームとの試合で投げる西純矢
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 【最高峰の舞台にトライ(2) 西純矢】これが世界レベルなのか――。順風満帆な野球人生を過ごしてきた純矢にとって、それはかつて経験したことのない衝撃だった。中学3年の夏。元メジャーリーガーの野茂英雄氏が総監督を務めた「野茂ジャパン」に選抜され、米ロサンゼルスへ遠征した。

 滞在初日から強烈なショックを味わった。現地チームとの練習試合に登板すると、最速141キロを誇った直球で空振りが取れなかった。日本ではあれほど空振りを奪ってきた剛球を、いとも簡単に痛打された。2年時には全国大会での優勝を経験。向かうところ敵無しだった純矢にとって、本場米国の強打者たちは想像を絶するハイレベルだった。

 「野茂ジャパンの経験がなかったら、ここまでの自分になれていなかった」

 初めての挫折は同時に、成長への起点となった。試合後。野茂氏から「決め球が必要だ」と声をかけられた。日米通算201勝を挙げたレジェンド右腕からの金言。翌日には同氏の宝刀・フォークボールと、スライダーを伝受された。

 「腕の振りが直球と同じ感覚で振れるように指導していただいたので、直球以上に腕を振る意識でやっていきました」

 1週間に及んだ滞在中は、感触を体に染みこませるためにボールを肌身離さず握った。小学5年時に遠投90メートルを記録した身体能力もさることながら、投手として必要な器用さも兼備していた。日増しに精度を高めていったフォークとスライダー。遠征の終盤には直球とのコンビネーションで、簡単に空振りを取れるようになっていた。「日本に帰ってからも自分で映像などを見て練習しました」。帰国の際には同氏からお墨付きをもらっていたというが、それに満足することなく研究を重ねる貪欲さがあった。

 野球だけではなく、学校生活でもさまざまな経験をした。中学2年時には職業体験で廿日市教育委員会を訪問。業務の一つとして地元ラジオ局に同行した際に、番組に飛び入り参加する機会があった。全国大会に出場することが紹介されると「野球を頑張ります!」とリスナーに向けて積極的に自分を発信したという。

 一方で3年の文化際では演劇をしたが、舞台に上がることはなく照明を担当。恥ずかしがり屋の一面から“裏方”としての参加だったが、クラスでも中心的な存在だった。野球も学校生活も順調に送っていた純矢だが、高校ではいくつもの壁にぶつかることとなる。(長谷川 凡記)

 ◆西 純矢(にし・じゅんや)2001年(平13)9月13日生まれ、広島県出身の18歳。広島・鈴が峰小2年から野球を始め、阿品台中では「ヤングひろしま」で投手。創志学園では1年夏からベンチ入りし、2年夏の甲子園初戦の創成館戦で16奪三振完封。今夏のU18W杯では4試合に登板して2勝、防御率1・35。野手としても2本塁打9打点を記録した。直球は最速154キロ。1メートル84、88キロ。右投げ右打ち。

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