【阪神・横田 一問一答】引退会見で涙「野球ができたのは本当に素晴らしい両親のおかげ」

[ 2019年9月22日 14:39 ]

<阪神横田引退会見>会見後の囲み取材で涙をぬぐう横田(撮影・坂田 高浩)
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 阪神の横田慎太郎外野手(24)が22日、今季限りでの現役引退を表明し、兵庫県西宮市内で引退会見を開いた。抜群の身体能力を誇り、走攻守3拍子揃った大型外野手として将来を嘱望されていたが、17年2月の沖縄春季キャンプ中に脳腫瘍が判明。過酷な闘病生活を経て、18年は育成選手として再出発したが、実戦復帰もかなわず、自らの意思で大きな決断を下した。

 以下は会見での一問一答。

 私横田慎太郎は今シーズンをもちましてユニフォームを脱ぐことを決めました。

 ――会見に臨んだ今の心境
 「自分で決めた決断なので、全く後悔はありません」

 ――引退はいつごろどういった経緯で決断したか
 「やっぱり一番に目の問題が大きいです。自分で打った打球も全く見えず、ピッチャーに投げてもらった球も二重に見えたり、守備の際にもボールが二重で飛んできたり。目のほうがぼやけるということが多かったので来シーズンこれを続けてもちょっと厳しいかなと思い決断しました」

 ――ここに至るまでリハビリを始めて、実戦復帰を目指してきた。自身の中で葛藤は
 「この一年半とても苦しかったですけど、自分が野球をやりたいと思ってした決断なので全く悔いはありません」

 ――監督やチームメイトに相談は
 「自分で決めました」

 ――家族には
 「両親のほうも相談は少ししましたけど、基本は自分の意志が強かったので自分で決めました」

 ――決断に父親は
 「自分で決めた考えなので何も言わず、今までお疲れさんと言ってくれました」

 ――脳腫瘍と診断をされた当時の思い
 「脳腫瘍と言われた瞬間は本当に頭が真っ白になって今後野球ができるか不安になりましたけど、これまでたくさんの方に支えられてここまでこれたので、本当にみなさんには心の底から感謝の気持ちしかありません」

 ――復帰への思いを支えたものは
 「やっぱり毎日練習やっていたらファンの方がたくさん来られていて、試合にも出ていないのにもかかわらずたくさんの方々が僕を応援してくれて。すごい大きかったです」

 ――鳴尾浜でファンにかけられた言葉で印象に残っている言葉は
 「やっぱり1日でも早く試合に出て(背番号)24番を取り返してくださいと言われた瞬間。自分もその気持ちでやっていました」

 ――6年前に桧山の24番を引き継いだ。番号への思いは
 「桧山さんという素晴らしい選手の番号でもありますので最初はすごく僕で良いのかなと思いましたけど、こうやって124番になってもう一回取り返したいという気持ちで今までやってきましたので…すごく残念ですね」

 ――今季病から復活を遂げた原口の存在は横田にとって
 「原口さんが病気から帰ってきた際にも一緒に活躍してお立ち台にいこうという話もありましたし、今でも活躍されているので本当に素晴らしい先輩だと思っています」

 ――お互いに交わした言葉の中で印象に残っている言葉
 「たくさんありますが、やっぱり原口さんに言われたのが、何をするにしても前を向いてやっていこうという言葉が印象にありますね」

 ――今プロ野球人生6年間を振り返って一番思い出に残っていることは
 「開幕スタメンで試合に出れたのもそうですけど、悔いなくこの2年半。すごく自分の中でもがいて苦しんで色んなこと思って野球できたこの2年半は良い思い出です」

 ――2016年の京セラでの開幕戦はそれだけ強い印象が残っているか
 「ものすごく緊張しましたし、足が震えるほど緊張していたのですごく今でも印象に残っています」

 ――プロ初盗塁をきめた
 「足が震えたりはしたんですけど、セーフになって安心しました」

 ――次の日は
 「覚えています。初ヒットだったのですごく嬉しかったです」

 ――1軍では109打席。一番印象に残っている打席は
 「巨人の菅野投手の球は本当にすごいボールだなというのを今でも覚えています」

 ――今後のビジョンは
 「球団の方からも話をもらっていますけど、しっかりもう一回両親と考えてからにしたいと思っています」

 ――横田晋太郎にとって野球とは
 「小さい頃から野球しかしてこず、最後こうやって病気になってユニフォームは脱ぎますが、最後にプロ野球という舞台で野球ができて、しかも阪神タイガースという素晴らしい球団で野球をやらせてもらって本当に感謝の言葉しかありません」

 ――ファンへ一言
 「ファンの方には入院中からたくさんの千羽鶴や手紙が届いて、もう一回グラウンドにユニフォームを着て戻れたのはファンのみなさんのおかげなので。ファンの方へは感謝の気持ちしかありません」


 (以下記者囲み)
 ――難しい決断だったと思うが、今の気持ちは
 「ちょっと今年は自分の中で苦しかったので。これがもし来年も続くのであればちょっと厳しいのかなと思い決断しました」

 ――目のことが一番引退の要因となった
 「一球もボールがきれいに見えなかったので。毎日苦しかったですし、これが来年も一緒だったら…もう本当につらかったので自分で(引退を)お願いしました」

 ――色んなことがあったと思うが野球人生を振り返ってみて
 「本当に最初のほうは自分も(試合に)出さしてもらってすごく嬉しかったですけど、病気してからの野球人生の方が、自分の中ではもがいて苦しんで、いつもなんでボールが見えないんだろうと思いながら練習もしてましたし、この2年半の方が自分の中では印象が強いですね」

 ――闘病を公表してから同じ病気の人に夢を与えることを口にし続けてきた
 「そこは今でも変わってないですし、これからも絶対変わることなく、今苦しんでいる方がたくさんいると思うので。そういう人たちに良い所は見せられなかったでしたが、これから何かしらの形で少しでも良い所を見せられるように、これからの人生頑張っていきたいと思います」

 ――北條、高山から花束をもらった
 「嬉しかったですし、ずっと一番いじってもらったのでそれが一番2人には強いですね」

 ――高山とは2016年1、2番コンビ。特別な思い
 「もちろん特別でもありますし、日常生活でもすごく助けてくれた先輩でもありますんで。北條さんも高山さんも尊い先輩です」

 ――両親への感謝の思い
 「両親には一番(感謝の気持ちが)多くて。僕が治療中髪が全部抜けた際にもお父さんが鹿児島から…(涙を流し)お父さんが髪を丸坊主にしてくれて僕の部屋まで来てくれて。本当にあれを見たとき、両親帰ったときは1人で大泣きして。なんて強い父親だなって思って。お母さんも仕事やめてまでこっちの方に来てくれて。15時間の手術が終わった際にも僕は目のほうが回復せず何も見えなくて、トイレに行くにしてもお母さんの手がないといけない。ご飯を食べるにしても見えないので両親の手がないといけない。本当に毎日何をしてるんだと思いながら自分は入院してましたけど、最後こうやって試合には出れてませんが、野球できたのは本当に素晴らしい両親のおかげなので…感謝の気持ちしかありません」

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