日本ハム・栗山監督が持つ選手たちへの「憧れ」「敬意」…その原点は大学時代に

[ 2019年8月19日 08:30 ]

ベンチで試合を見る栗山監督(撮影・高橋茂夫)
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 日本ハム担当として栗山英樹監督(58)と接していると、言葉の端々に野球への「愛」や「リスペクト」を感じる。その原点は「苦学生」でもあった東京学芸大時代。数日前、あまり昔のことを語らない指揮官から「なんでもない屁みたいな選手だったし、間違ってプロに入っただけ」という大学時代の話を聞けた。

 東京学芸大は国立大でもあり、当時の年間に支給される野球部の活動費は20万円。そのため部員は夜に各自がバイトを行って用具の購入費、大会参加費、遠征費などを稼いだ。栗山監督も教員免許を取得するために文武両道に励み、夜は塾講師として中学生に数学を教えた。「やっと1万8000円で買ったバットがすぐに折れたりすると本当に悲しかったし、泣いたよ。だから“芯で打たないとダメだ”と本気で思った。野球ができる幸せを感じたし、いろいろなことを学べた4年間だった」と笑顔で振り返る。

 2年まではエース兼内野手を務めるなど中心選手として活躍し、東京新大学野球連盟の通算成績は投手で25勝、打者で打率・389。教師になることをイメージしながら卒業を翌年に控えた83年夏、幼い頃からの夢も諦め切れずにヤクルトの入団テストを受け、見事にドラフト外での入団を勝ち取った。メニエール病にも苦しむなど現役通算は494試合で打率・279、7本塁打、67打点だったが、引退後も野球と真摯に向き合い、キャスターや母校の講師としても活躍。02年には同じ名字が縁で交流が続いていた北海道栗山町に自前の野球場を造ると、10年後の12年に何かに導かれるように現職となった。

 栗山監督は「今の立場になっても、うちの選手への憧れはあるし、敬意を持っている。自分の若い頃よりも、本当にうまいし、才能があるからね。監督は別に偉いわけじゃないから」とも語る。プロ野球に憧れ、必死に白球を追っていた大学生は、40年が経った現在も野球と向き合い、試行錯誤の日々を続けている。(記者コラム・山田忠範)

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