同じ日付、同じ場所で…田中将大、ちょうど5年後の歓喜

[ 2019年7月12日 11:00 ]

米球宴で1回を無失点に抑え勝利投手になった田中(AP)
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 5年前の7月9日だった。場所は米オハイオ州クリーブランド。プログレッシブ・フィールドから、その男は姿を消した。クラブハウスのロッカーにはユニホーム、アンダーシャツはかかったまま。グラブやスパイクが整然と置かれていたが、私物は一切、なくなっていた。

 ちょうど5年後の7月9日、しかも同じプログレッシブ・フィールド。ヤンキース・田中は、メジャーリーグのオールスター戦のマウンドに立ち、日本人投手では初めての球宴での勝利投手になった。単なる偶然とはいえ、球宴出場が決まっていながら、右肘を痛めて故障者リスト(現在の負傷者リスト)入りしたのと同じ日付と場所だったことが、記者にとっては感慨深かった。

 田中は14年7月3日、その年のオールスターが開催されたミネアポリスでのツインズ戦で12勝目を挙げた。同6日に選手間投票のダントツトップで初めてのメジャー球宴出場が決定。ちょうど、ミネアポリスからクリーブランドへの移動中の吉報だった。「同じ選手から評価してもらって、選んでもらえたのがうれしい。実際に打席に立たれたら、しょぼいなと思われてるかもしれないけど」と喜んでいた矢先、8日のインディアンス戦で4敗目を喫した登板で右肘に異常が発生。9日はニューヨークに一端戻り、チームドクターのいるシアトルに移動と慌ただしい1日を過ごしていた。

 その頃、記者の手元にはオールスター戦の取材IDが届いていた。だが、ミネアポリスに行くことはなく、ニューヨークに戻った。数日間、マンハッタンで、チームドクターの所属する病院を数カ所を巡った。オールスターが開催された15日の夜、激しい雷雨だったニューヨークのアパートでオールスターをテレビ観戦したのを鮮明に覚えている。

 あれから本当にジャスト5年。こんな結末になるとは想像していなかった。出場辞退による代替選出で、2番手で2回に登板したことで巡ってきた白星。現地では見られなかったが、5年前の出来事があった分、本当にうれしかった。

 田中と球宴といえばもうひとつ。日本での球宴初登板はプロ1年目の07年。仙台で行われた球宴第2戦に先発し、2回7安打6失点。当時、お願いした独占手記を紹介する。「正直言うと、試合前は嶋さんに“変化球を投げたい”って言ったんですけど、ずっとサインが真っすぐ。36球中29球かな。153キロも出たけど、まだまだと実感しました。だからもう、真っすぐでは勝負しません!」。12年も経つので暴露すると、試合後は直球勝負だったことに「しょうがないですけど」と言いつつ正直、怒っていたっけ。

 ちなみにこの日本での球宴初登板は黒星。あれから12年。メジャーのオールスター戦初登板初白星で、メジャー1年目と、18歳だった頃の右腕を思い出した。(記者コラム・春川 英樹)

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