エンゼルスを襲ったスカッグス投手の悲報 繰り返された歴史の中にある苦難との向き合い方

[ 2019年7月5日 08:00 ]

エンゼルスのプホルスのユニフォームに付けられた45番(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】現在、NBAのマイアミ・ヒートを率いているエリック・スポールストラ監督(48)の目の前でハンク・ギャザーズという選手が倒れこんだのは1990年3月4日。ポートランド大のガードだった同監督が対戦していたのは、このギャザーズに加え、のちにNBAクリッパーズでドラフト1巡目(全体8番目)に指名されるボー・キンブルを擁していたウエストコースト・カンファレンス(WCC)の強豪ロヨラ・メリーマウント大(ロサンゼルス)だった。

 1988年シーズンに全米大学バスケ界の得点王(1試合平均32・7得点)となっていたギャザーズは1989年12月9日に不整脈を引き起こして3試合ほど欠場していたがすぐに復帰。しかしNCAAトーナメント(全米大学選手権)への出場権がかかっていた試合で再び心臓が悲鳴を挙げた。前半の6分26秒、アリウープからのダンクを決めて自陣バックコートに戻る途中、スポールストラの前で倒れたギャザーズは「倒れたままでいたくはない」と駆け付けたトレーナーに告げたが、これが生涯最後の言葉となった。

 肥大型心筋症。検視の結果、彼の心臓には重大な欠陥があることがわかり、診察していながらプレーを辞めさせなかった医師は100万ドル、大学側は140万ドルを和解金として遺族に支払った。ローカル局ながら試合は生中継されており、そこで起こった衝撃的な選手の突然死。これ以後、全米各地で練習や試合中に息苦しさを訴えるスポーツ選手が続出し、この症状は「ハンク・ギャザーズ症候群」とも呼ばれるようになった。

 大リーグ・エンゼルスのタイラー・スカッグス投手が1日、遠征先のホテルの自室で遺体となって発見された。享年27。今季チームトップの7勝を挙げ、チームのムードメーカーでもあった明るい性格の選手の突然死は、エンゼルスだけでなく球界全体に衝撃を与えた。「願わくば、もう一度マウンドに立たせてやりたかった」と語った投手のアンドリュー・ヒーニー(28)、「チームメートと親友を同時に失ってしまった」と語った外野手のマイク・トラウト(27)、「こんなときにどのようにプレーすればいいのかというマニュアルを僕らは与えられていない」と語った外野手のコール・カルフーン(31)…。翌2日の試合が終わったあと、試合に勝ったにもかかわらず、エンゼルスの選手はみんな泣いていた。前日まで元気で、仲が良かったチームメートが突然いなくなってしまうと、1990年のロヨラ・メリマウント大同様、そこには悲しみと混乱しか残らない。私は記者人生の中で「突然死」を巡る原稿を何度も書いたが、そのたびにやりきれない気持ちになる。2日の試合後にAP通信が配信したエンゼルスの記者会見の記事を読んだとき、登場した3選手の気持ちがひしひしと伝わってきて、私の心の中も“エンゼルス一色”になった。

 捜査当局によれば事件性はなく自殺でもないという。しかし2日に実施されたはずの検視結果は少なくともレギュラーシーズンが終わるまで公表されないことになった。検視局によればスカッグス投手の遺族からの要請があったのだと言う。その理由はなんとなくわかるような気がする。病気であれ、何か他の理由であれ、さらにそれが自然死であったにせよ、死因がわかってしまうと選手に動揺が走る。「自分にもその可能性があるかもしれない…」。そう感じた瞬間からあの「ハンク・ギャザーズ症候群」へのリスクが降りかかってくる。そしてそれは選手のプレーに大きな影響を与えてしまうだろう。だから賢明な“先送り”だと思う。

 エンゼルスは今季の残り試合で、全選手がスカッグス投手の背番号45を各自のユニフォームに付けてプレーすることになった。悲劇を背負い続けてしまってはいけないが、外野手のジャスティン・アップトン(31)が「彼は試合が終わるといつも笑顔で迎えてくれた。それが忘れられない」と口にしたように、亡き友の記憶を形にしてとどめておくことは心の癒しにつながる大切な部分だ。

 大黒柱のギャザーズを失ったあと、ロヨラ・メリーマウント大は西部地区の下位シード(第11シード)だったにもかかわらず、NCAAトーナメントでエリート8(ベスト8)まで勝ち進んだ。「ファイナル4」への進出はネバダ大ラスベガス(UNLV)に敗れて果たせなかったが、この試合でギャザーズの親友でもあったキンブルは3本のフリースローを左手で打ってすべて成功させた。このシーズン、ギャザーズに代わって全米大学得点王(1試合平均35・3得点)となったキンブル自身は右利き。ギャザーズも本来右利きだったが、唯一の弱点は成功率が56%しかなかったフリースローで、これを克服するために彼はフリースローだけを左手で試みていた。その亡き友を“形”にして追悼したのがキンブルの左手によるフリースロー。キンブルはNBA入りしてからも最初のフリースローだけは左手で打ち続け、観客はそのたびにギャザーズの姿を思い出した。

 エンゼルスを率いるブラッド・オースマス監督(50)はアストロズで現役の捕手を務めていた2002年6月18日、チームメートだったダリル・カイル投手(通算133勝)がスカッグス投手同様、遠征先のホテルの自室で急死するという悲劇に立ち会っている。それから17年。まさか“2度目”がやって来るとは思いもしなかっただろう。だから試合後の会見で彼が話した言葉を和訳するのは難しかった。

 「24時間が辛かった。笑うことはできなかった」と語ったあとのひとことは「so a win would give us something」。「勝っただけマシだった」と気持ちはまだネガティブだったか、それとも「勝ったことで何かが変わった」と前を向くようにポジティブっだったのか…。どちらが正解なのかは読者のみなさんの判断に任せたい。ただオースマス監督も背番号45を背負っていく1人。ギャザーズを失ったロヨラ・メリマウント大が最後まで戦い抜いたように、キンブルが最後まで友を忘れなかったように、エンゼルスもまた、スカッグス投手の記憶を永遠に残せる「今後」にして欲しい。「something」が形あるものに変化していくことを祈っている。

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは4時間16分。今年の北九州マラソンは4時間47分で完走。

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