明大・高山、リーグ新128安打!高田繁超え48年ぶり記録更新

[ 2015年10月11日 05:30 ]

<明大・東大>7回無死、明大・高山は通算128安打となる左中間三塁打を放つ

東京六大学野球第5週第1日 明大2―1東大

(10月10日 神宮)
 明大の高山俊外野手(4年)が10日、東大1回戦の7回に三塁打を放ち通算128安打とし、リーグ最多安打記録を48年ぶりに更新した。9月27日の早大戦で、明大の高田繁(現DeNAゼネラルマネジャー)が1964~67年に樹立した記録に並んでいたが、鮮やかな左中間への一打で歴史を塗り替えた。俊足、強肩も兼ね備えるヒットメーカーは、1位候補に挙がる22日のドラフト会議へさらに評価を上げた。

 緊迫した試合展開の中で、歴史的瞬間はやって来た。1―1の7回。高山は先頭でこの日4度目の打席を迎えた。初球を振り抜くと、打球は左中間を破る。50メートル5秒8の俊足を飛ばして三塁に猛然と滑り込むと、神宮のスタンドからは拍手が湧き起こった。通算128安打目。高山はポーカーフェースの下でこみ上げる喜びをかみしめた。

 「球場全体から拍手をもらって、凄くうれしかった。監督、チームメート、ファンの方々に感謝したい」

 9月27日の早大戦で明大の大先輩、高田繁氏のリーグ最多安打記録127安打に並び、この日を迎えた。5回の第3打席までは東大の先発・宮台の直球とツーシームにタイミングが合わず、2打数無安打。「引っ掛けてしまった。(善波達也)監督に“逆(方向)を狙う気持ちで”と言われてスイッチがもう一度入った。勢いをつけようと思った」。勝ち点2で同3の首位・慶大を追うチームのためにと切り替えて放った一打。1死後に犠飛で決勝のホームを踏んだ。

 恩返しの新記録でもあった。「3年のシーズン前に監督から(127本を)超えろと言われてから意識した。自分で言うのも何ですけど僕は手がかかる選手だと思う。良い恩返しになったと思う」。善波監督は「手のかかる選手の一人。半面、それが楽しくもある」と苦笑いしながら目を細めた。性格は真面目で一本気。一つのことに集中しすぎることが多々あり、チームメートからは「忘れる天才」と評される。一方で人の意見に素直に耳を傾けて苦難を乗り越えてきた。2年春、秋は打率2割台と苦しんだが、今春まで3シーズンは全て3割台と立て直して前人未到の記録につなげた。

 試合後も残ったファンからは拍手が鳴りやまなかった。自作の横断幕を掲げたファンもいて高山は「個人の記録なのにこれだけ応援してくれた方々のおかげ」。記念球とバットは野球殿堂博物館に展示される。90周年を迎えた東京六大学の伝統に堂々とその名を刻んだ。 (松井 いつき)

 ▼DeNA・高田GM(自らの記録を更新した明大の後輩、高山に)率直におめでとうと言いたい。後に続く選手たちが目標とする記録まで積み重ねてほしい。そして、最後のリーグ戦を優勝で飾ってほしい。

 ▼明大・善波達也監督(高山について)二塁を回って三塁に行く姿がきれいで、彼らしいヒットだった。これからが大事なので、チームのためにますます頑張ってほしい。

 ▼東大・柴田(2番手で登板。高山に新記録の安打を許して)チェンジアップ。少し浮いてしまったけど、うまく打たれました。早く追い込もうと思ったんですが。

 ▼東大・浜田一志監督 2―1で勝つつもりだったが。宮台はよく投げてくれた。こういう試合をしながら勝つ試合をしたい。高山君の新記録には敬意を表したい。

 ◆高山 俊(たかやま・しゅん)1993年(平5)4月18日、千葉県生まれの22歳。小1から野球を始める。七林中では船橋中央シニアに所属。日大三では1年秋からベンチ入り。春夏通算3度甲子園に出場し、2年春準優勝、3年夏に全国制覇。明大では1年春からベンチ入りし、1年春、2年秋、3年春秋、4年春にベストナイン。1メートル81、84キロ。右投げ左打ち。

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