高田高 「甲子園で恩返し」の夢 亡き父から受け継いだ「強い心」とともに

[ 2013年5月8日 06:00 ]

伊藤新監督(左端)を中心に、葉桜に変わりつつある桜のように勝負の夏に向けて変身を誓う高田ナイン

陸前高田市・高田高校野球部の1年 復興へのプレーボール春季岩手大会予選編

 兄の夢は弟に引き継がれる。春季高校野球岩手県大会沿岸南地区予選が行われ、高田高校野球部は連敗し、2年連続での岩手大会出場はならなかった。佐々木明志(あきし)前監督(49)から引き継いだ伊藤貴樹新監督(32)にとっては苦難の船出となった。しかし光明もある。今春卒業した吉田心之介さん(18)の弟、凜之介(りんのすけ)投手(2年)が公式戦初登板。兄が果たせなかった甲子園という夢に一歩を踏み出した。

 照れもある。悔しさもあった。敗戦後。凜之介は約5メートルほどの距離にいた兄の心之介さんと目を合わそうとしなかった。敗者復活の釜石商工戦で公式戦初登板。3回途中から2番手として4回を投げ、6安打6失点。結果を出すことができなかった。

 「良かったところと悪かったところの両方あった。自分の課題がよく分かった」

 春季岩手大会への出場校を決める予選。沿岸南地区からは7校中、3校が出場権を得る。2試合負けたら敗退が決まる仕組みだ。4日の大船渡東戦で延長10回で敗れ、翌5日の釜石商工戦も6回コールド負け。理学療法士を目指し、盛岡市内の専門学校に通う心之介さんらの応援に応えることはできなかった。

 試合後のミーティングを終えた後輩一人一人に声を掛けた心之介さんだったが、弟には何も言わなかった。「体が開くと直球もスライダーも決まらなくなる。とにかく体を開かないようにしないと」と言うが本人には照れくさいから人前では伝えない。しかし、試合前日に弟からの電話で登板の可能性を聞いていた。メールでアドバイスを送ることもある。「内角をさばくときは腕を畳んでコンパクトに」

 心之介さんは弟を「自分は気の強さを内に秘めるタイプ。弟は外に出すタイプ。正反対だけど似ていますね」と評す。その強い心は今は亡き父、利行さんから受け継いだ。2011年3月11日。仕事の関係で、陸前高田市役所にいた利行さんは命を落とした。

 父を失った一家から、進学のために兄が家を離れた。母と祖父母と暮らす。心之介さんは「甲子園に出ることで(支援への)恩返しをしたい」と精いっぱいのプレーを続けた。バトンを引き継ぐ弟は「震災があったことで自分の野球に影響があったとは思わないです。不自由も今はほとんど感じない」と屈託がない。

 5月。岩手県内には、まだ桜が咲いている。昨年のこの大会。大船渡東戦で兄は適時打を放ち、勝利に貢献した。1年後も桜は咲き、弟は同じユニホームでプレーした。

 旧高田高校校舎裏にあるかつての「第2グラウンド」には148戸の仮設住宅がある。ゴールデンウイークの晴れた日。仮設住宅ではバーベキュー大会が行われた。初めての花見の会だった。住民の1人は言った。

 「(仮設住宅に)慣れだどいえば慣れだけど。でも、いつまでここにいられっが…」。仮設住宅に入居できるのは最長で4年。現時点で、その期限までに生活を再建できる保証はない。そして不安を抱えながら暮らすのは仮設住宅に住む人々だけではない。それでも凜之介は言った。

 「あれから、むしろ強くなったと思います」。悲しみは簡単に癒えるはずもない。しかし、それを口にしない強さを持っている。甲子園という夢も持っている。優しい家族も持っている。

 ▽沿岸南地区予選1回戦 (4日 住田)

大船渡東
 000 000 000 1―1
 000 000 000 0―0
高  田

 (大)花崎―久保
 (高)村上直―泉田

 ▽敗者復活1回戦 (5日 住田)

釜石商工 204 032―11
高  田 000 010―1

 (釜)山崎―佐々木
 (高)村上直、吉田凜―泉田、熊谷
 [本]佐々木(釜)

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