星野監督、仙台入り「頑張ろうな」被災者に激励Vを

[ 2011年4月8日 06:00 ]

避難所となっている六郷中を訪れ、被災した人たちと握手して回る楽天・星野監督

 楽天ナインが7日、東日本大震災発生後初めて本拠地・仙台に戻った。甲子園での練習後、飛行機で山形に入り、そこからバスで1時間以上かけて到着。星野仙一監督(64)は早速、避難所となっている仙台市若林区の中学校を訪問し、被災者を励ました。8日は選手と首脳陣が4グループに分かれて、避難所を訪れる予定。野球を通して被災者を勇気づけ、あと4日と迫った12日のロッテとの開幕戦(QVCマリン)に臨む。

 避難所の現状を目の当たりにし、星野監督は言葉を詰まらせた。3月11日の地震発生から約1カ月がたっても、子供やお年寄りが不自由な生活を送っている。どんな言葉で励ますべきなのか。迷いながらも、体育館の壇上から自らの思いを語った。

 「何と言っていいのか…遅くなってすいません。選手たちは1日も早く皆さんのところに行きたい気持ちでいっぱいだった。ただ、交通手段がなく、スケジュールのこともあって…」避難所で生活する200人を見渡して、一呼吸置いた。そして、今度は「頑張って、強くなって、とは言いたくないです。いま、このときを我慢しましょう。耐えれば必ず強い人間になれる」と力を込めた。闘将の言葉に涙を流す女性もいた。

 甲子園での全体練習を終えると、飛行機で山形へ移動した。山形空港からバスに乗り換え、本拠地のKスタ宮城に着いたのは午後6時を過ぎていた。星野監督はすぐにタクシーに乗り込み、田淵ヘッドコーチ、佐藤投手コーチとともに避難所になっている中学校へ向かった。到着すると「監督、お帰り」と声をかけられ、子供たちにはサインを求められた。到着時間が遅かったこともあり、被災者に配慮し、約20分の滞在で避難所を後にしたが、一人一人の目を見つめながら握手した。

 仙台はテレビで見ることしかできなかった厳しい現実が目の前に広がっていた。被害が少ないとされる中心部でも、壁がはがれた建物やトンネルの側壁に損傷が見えた。市街地は、コンビニや飲食店など明かりの消えた店もあった。

 開幕を5日後に控えた中での仙台入り。8日夜には開幕戦の舞台となる千葉に移動する。星野監督は甲子園では「(この時期に)被災地に行くのは現場として難しい判断だったけど、いい方向に行くことを願う」と話していたが、被災地を勇気づけたいとの思いは、被災者と直接触れ合うことでより強いものとなった。そして、スピーチの最後には「火曜日(12日)からペナントレースが始まります。秋になったら必ず、いい報告をしたいと思っています」と優勝を約束した。

 この日午後11時30分すぎには、宮城県北部と中部で震度6強の地震が発生するなど、被災地住民の不安な日々はまだ続いている。今季はユニホームに「頑張ろう東北」のワッペンをつけてプレーする楽天ナイン。仙台だけでなく、東北の思いを背負って戦う覚悟だ。 

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