“持ってる”斎藤 50年ぶり早慶優勝決定戦制す

[ 2010年11月4日 06:00 ]

<慶大・早大>優勝を決めナインに胴上げされる早大・斎藤

 1960年「伝説の早慶6連戦」以来、50年ぶりとなる早慶両校による東京六大学野球優勝決定戦が3日、神宮球場で行われ、早大が慶大を10―5で下して4季ぶり42度目の優勝を飾った。今ドラフトで日本ハムから1位指名を受けた早大・斎藤佑樹投手(4年)は8回1死まで無安打投球の快投。失策をきっかけに5点を失ったが、最後は西武のドラフト1位指名右腕・大石達也投手(4年)が締めた。早大は13日開幕の明治神宮大会に出場する。

【試合結果
順位表


 試合後のヒーローインタビュー。立すいの余地もないほど膨れあがった神宮の3万6000人の観衆を前に、斎藤は「最後に1つだけ言わせてください」と切り出した。
 「何か持ってると言われ続けてきましたけど何を持っているのか確信しました。それは仲間です。こうやってチャンスを回してくれた仲間、応援してくれた仲間、そして慶大という素晴らしいライバルがいてここまで成長させてもらいました」
 伝説の早慶6連戦以来50年ぶりとなる早慶両校による優勝決定戦。歴史的一戦のマウンドで胸のすくような快投を演じた。左打者にはひざ元に落ちるスライダー、右打者は内角への直球を軸に快調なテンポでゼロを並べた。7回まで許した走者は四死球による4人だけ。外野への打球は2回の青山の中飛だけと、完ぺきな投球を披露した。ざわめく球場。期待が高まった8回1死から松本和に初安打を許すと、味方の失策もあって一気に5失点(自責2)。130球でマウンドを降りたが、大一番で先発の重責はしっかりと果たした。
 28日のドラフトは4球団が競合した末、日本ハムが交渉権を獲得した。直後に斎藤は大学日本代表監督の近大・榎本監督に「おかげさまで4球団も指名していただきました。ところで日本ハムはどんな球団ですか?」と連絡を入れた。梨田監督と近鉄時代から親交のある榎本監督は「梨田さんはしっかりと育ててくれる人だから安心せえ。それにあの人は斎藤のサインボールも持ってるんやで」と明かした。斎藤が06年夏の甲子園で優勝後、日本選抜の一員として関西で練習した際に世話役を務めたのが当時、関西学院大マネジャーだった梨田監督の長男・和利さん(当時3年)だった。甲子園ですっかり斎藤のファンになっていた梨田監督は息子を通じてサインボールを入手。新指揮官と見えない糸でつながっていた話を聞いたことで、斎藤の中にあった新天地への不安は一掃され、最後の早慶戦に集中して臨むことができた。
 4年前、プロか進学かで悩んだ末に早大進学を決断した。昨年11月には、第100代主将に就任。勝利を義務づけられていた中でプレッシャーに耐え、1年がかりでついに念願の天皇杯を手にした。4日には晴れてドラフト指名会見でプロへの意気込みを語る。
 試合後、仲間の手で4度宙を舞った斎藤はこれまで見せたことのない無邪気な笑みを浮かべた。そして宙を舞いながら実感した。自分が選んだ道が間違いではなかったと。

 ▽1960年秋の早慶優勝決定戦 最終週の早慶戦で早大が2勝1敗と勝ち点を奪って優勝決定戦へ。3回戦の翌日に行われた一戦は1―1で延長11回、日没により引き分け、1日おいた2試合目も0―0で日没引き分けに。翌日の3試合目で早大が3―1で勝ち優勝を飾った。リーグ戦と合わせた早慶6連戦で早大・安藤は5試合完投。観客は全6試合で計38万人を集め、NHKと民放のほぼ全局が連日生中継した。

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2010年11月4日のニュース