「走れコウタロー」「岬めぐり」山本コウタローさん急死 73歳、脳内出血 俳優、教授…マルチに活躍

[ 2022年7月16日 05:30 ]

89年、ギターを手に参院選選挙活動をする山本コウタローさん
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 「走れコウタロー」「岬めぐり」のヒット曲で知られる歌手の山本コウタロー(やまもと・こうたろー=本名山本厚太郎=やまもと・こうたろう)さんが4日未明、脳内出血のため都内の自宅で死去した。73歳。東京都出身。11日に通夜、12日に告別式が近親者のみで営まれた。

 関係者によると山本さんは、事実婚のパートナーで映画評論家の吉田真由美さんと2人暮らしだった。4日未明に自宅で倒れ、吉田さんが発見。病院に搬送後、死亡が確認された。近年足腰が弱くなり、一時は体調を崩して療養中だったが、亡くなる1週間前には神宮球場で大ファンのヤクルトと巨人の試合を観戦。元気な様子だったため、事務所関係者も「突然のことでびっくりしました」と話した。

 一橋大在学中の1970年、所属していたフォークグループ「ソルティー・シュガー」の曲「走れコウタロー」が大ヒットし、第12回日本レコード大賞新人賞を受賞。ソロ活動を経て、74年には「山本コウタローとウィークエンド」を結成。誠実な人柄と頭の良さが人気を集め、80年以降は日本テレビ「午後は〇〇おもいッきりテレビ」の初代司会を務めるなど、情報番組でも活躍した。役者としてTBS系ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」にも出演。共演の角野卓造(73)らと劇中で「渡鬼おやじバンド」を結成。実際にシングルを発売するなど話題を集めた。

 環境問題や社会学にも関心を寄せ、80年代から栃木・白鴎大で「マスコミュニケーション論」などを論じ、同大の名誉教授も務めた。政治活動でも知られ、89年には参院選に出馬したものの落選した。

 代表曲「走れコウタロー」は、競馬をテーマにした軽快なメロディーとコミカルな歌詞が特徴。96~97年放送のテレビアニメ「みどりのマキバオー」のオープニング曲「走れマキバオー」、人気競馬ゲーム「ウマ娘 プリティーダービー」の曲「走れウマ娘」の原曲として知られる。

 ◇山本 コウタロー(やまもと・こうたろー)本名山本厚太郎=こうたろう。1948年(昭23)9月7日生まれ、東京都出身。72年に一橋大を卒業。卒論は「誰も知らなかったよしだたくろう」。同年「村の郵便配達」でソロデビュー。82~85年にはフジテレビ「笑っていいとも!」のレギュラーに。87~97年に広島でチャリティーコンサートを開催。95年、環境学を学ぶため英国に留学。

 《「おもいッきりテレビ」プロデューサー白石氏「本当にピュアな人」》87年に日本テレビ「おもいッきりテレビ」を立ち上げたチーフプロデューサーで、元札幌テレビ社長の白石重昭氏が「本当にピュアな人だった」としのんだ。山本さんは番組開始から司会を1年半務めた。「フォークシンガーらしく、反権力の考え方で矛盾することには戦うタイプ」と振り返った。普段から吉田真由美さんと行動をともにしており「本当に彼女のことが好きで、彼女の言うことを素直に聞く人だった」と明かした。

 ▼角野卓造(「渡る世間は鬼ばかり」で共演)中学時代(千代田区立麹町中学校)の親友とまさか大人になってから一緒にバンドを組むとは想像だにしませんでした。できればもう一度、渡鬼おやじバンドで集まって活動がしたかったです。心よりご冥福をお祈りします。

 ▼南こうせつ 1970年代、彼は「ソルティー・シュガー」で、「走れコウタロー」がヒットし、僕は「かぐや姫」で「酔いどれかぐや姫」を歌い、当時はライバルというより仲間で一緒に楽しんでいました。時は流れて1986年、コウタローから電話があり、我々が日本人として今こそ核兵器廃絶のコンサートをやりたい。ということでした。もちろん大賛成で一緒にプロデュースをしました。世界中のミュージシャンに呼びかけ、海外からも著名なアーティストが参加してくれました。翌年から、大友康平もプロデュースに加わり、ハウンド・ドッグはもちろん、安全地帯、尾崎豊など…。その後10年にわたりビッグなアーティストに参加していただき大いに盛り上がりました。最後に会ったのは3年前の8月6日、広島の原爆養護ホームに慰問へ行った時でした。彼はいつも弱い人の立場から、社会の不公平感を自問自答しながら笑顔で生きていたイメージがあります。出会って52年、また一緒に歌いたかったです。お悔やみ申し上げます。

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