猛虎人国記

猛虎人国記(30)~奈良県~ 3年連続「開幕投手」の期待(福家)

[ 2012年3月27日 06:00 ]

 福家雅明を端的に示す実績がある。1年目から3年連続でオープン戦初戦の先発投手に起用された。監督はいずれも安藤統男で、毎年「先発の候補」と期待した。

 ▽1982年2月27日阪急戦(安芸)=3回4安打4失点▽83年3月6日大洋戦(草薙)=4回7安打5失点▽84年3月3日阪急戦(安芸)=3回4安打3失点。

 1メートル86の長身から投げ下ろす速球は威力十分。本紙評論家・西本幸雄も<制球力が課題だが体験を積ませばものになる>と大器晩成を予感していた。だが7年で95試合に登板しながら、白星をあげられなかった。89年、近鉄に移り引退した。

 淡路島出身。一宮中から天理に進み、甲子園に春夏4度出場。同期に強打の鈴木康友(巨人)がいた。3年の選抜は大会通算1000試合記念の準々決勝で山沖之彦(阪急・オリックス―阪神)の中村に、最後の夏は奈良大会準々決勝で山口哲治(近鉄)の智弁学園に敗れた。社会人・三菱自動車川崎4年目でエースとなり、81年ドラフト4位だった。引退後は阪神戦テレビ中継のディレクターとしてキャンプから年中、チームを追う。

 天理からは計5選手。86年夏の全国制覇で主軸を打った山下和輝と中村良二が入団している。山下の出身は大阪・西成区。そのパワーと背番号44から、仮契約時に「天下茶屋のバース」と1面で書いた。中村の出身は福岡県。山下引退の96年オフに近鉄を自由契約となった中村がテストを受け、入れ違いで入団。今は天理大監督だ。

 関本賢太郎は96年ドラフト2位。今季は阪神在籍16年目を迎え、選手会長を務める。東辰弥は97年選抜優勝の4番・捕手。早大を経て入団。引退後は広報やマネジャーで支える。

 ライバル智弁学園から3人。田中昌宏は高代延博(現オリックスコーチ)と同期。大商大、三協精機を経て入団し84年は96試合に出た。庄田隆弘は1、3年と出場した夏の甲子園でともに本塁打を放った。岡崎太一は高校で秦裕二(横浜)、松下電器で久保康友(ロッテ―阪神)とバッテリーを組んだ。

 郡山に移る。溝部武夫は33年、郡山中が和歌山と争う紀和大会で初めて奈良県勢として夏の甲子園出場を決めた時のエース。杣田(そまだ)登は50年テスト入団。54年2軍マネジャー、62年完成の虎風荘で初代寮長を務めた後、甲子園で喫茶店を経営していた。中村泰広は2年で選抜に出場。3年夏は奈良大会決勝で関本の天理に0―1で敗れた。慶大、IBM野洲から入団。3勝を刻んだ。引退後は甲子園球場職員で働く。元中日2軍監督、横浜ヘッドコーチの福田功は昨年から編成部に在籍する。

 東田正義は御所工で63年選抜8強。西鉄で球宴出場2度。日本ハム経由で76年に移籍。6番を打ち12本塁打した。西口裕治は「1度でいいから甲子園の土を踏みたかった」と高田商3年秋に阪神入団テストを受け合格。ブルペン捕手を長年務め、今は虎風荘副寮長。桜井商出身の東利夫は7年間1軍なく引退。85年から審判員を務める。 =敬称略=

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