猛虎人国記

猛虎人国記(32)~新潟県~ 故障に泣いた初の「1位」

[ 2012年3月27日 06:00 ]

 猪俣隆は新潟県長岡市で生まれ育った。阪神担当時代の1988年1月3日、地元長岡の後援会がホテルで開いた発会式を取材した。プロ1年目を終えた87年10月から会員を募ると850人が名を連ねた。来賓に長岡市長や同市体協会長も駆けつけた。猪俣は「郷土の星となるようにがんばります」とあいさつした。2次会を含め、4時間以上の宴だった。

 当日「応援歌」を合唱したのが長岡東中野球部の同級生たち。中学時代から評判の大型左腕。「冬でも雪に閉ざされずに野球ができる所に」と堀越(東京)に進んだ。出身高校別にした表には、だから名前がない。

 法大1年春の新人戦で史上初のノーヒットノーランを達成、注目を浴びた。東京六大学リーグ通算20勝。86年ドラフトで阪神が1位指名。新潟県出身者では初の1位指名でのプロ入りとなった。

 長身から投げ下ろす速球にナックルなど多彩な変化球があった。だがフォーム矯正や故障で制球が乱れた。四球連発に「ミスターB」と書いた。初打席から79打席連続無安打がプロ野球記録だと見つけた同僚記者もいた。猪俣が主人公の『泣くな! イノマティ』といった漫画もあった。

 「2桁勝利が一番の思い出。シーズン通じてまともな状態だったのはあの年だけだった」。93年の11勝。あとはいつも故障と闘っていた。虎風荘の食堂で会い、体質改善の栄養補助食品を分けてもらったことがある。食へのこだわりもあったろう。引退後、修行を経て、すし職人となり、ワシントンDCで働いていた時期もある。

 吉田篤史もドラフト1位。生まれは東京都豊島区。小学校時代に新潟市に移った。日本文理からヤマハに進み、90年の都市対抗優勝に貢献。橋戸賞(MVP)と若獅子賞を受賞した。91年も都市対抗に出場。同年秋のドラフトでロッテが1位指名した。先発・救援で通算26勝をあげた。

 阪神移籍は03年4月。だが、故障もあって2年間、1軍昇格はなく、04年限りで引退。05年から今季まで横浜(現DeNA)投手コーチ(1、2軍)として指導を続けていた。今月21日、BCリーグ・信濃の投手コーチ就任が発表となった。

 横山龍之介も日本文理OB。06年、選抜での県勢初勝利を記したうえ8強進出。同年夏も甲子園に出場し、高校生ドラフト4巡目で入団した。上手から横手投げに変え、プロ4年目の昨年、1軍2試合に登板した。6年目となる来季の飛躍に期待したい。

 選手ではないが、第6代コミッショナーとして江川事件を裁いた金子鋭は小千谷市出身。同市白山公園野球場に胸像が建つ。ベースボール・マガジン社を創設した池田恒雄は北魚沼郡小出町(現魚沼市)出身。多くの野球雑誌・書籍を出し球界発展に貢献。出版人として初の野球殿堂入りを果たした。 =敬称略=

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