猛虎人国記

猛虎人国記(1)~広島県(上)~ スパルタ訓練で「猛虎魂」の形作った石本秀一

[ 2012年3月27日 06:00 ]

 阪神タイガースの人国記を始めるにあたって、冒頭に広島県を持ってきたのには理由がある。いわゆる猛虎魂を形作ったのは広島県出身の野球人だからである。

 もちろん「初代ミスタータイガース」藤村富美男(呉港中)がいた。契約第1号選手として1935年(昭10)10月22日に入団が決まった門前真佐人(広陵中)もいた。初年度36年(昭11)は選手19人のうち5人、2年目37年(昭12)は26人中9人と出身県別で最多を数えた。

 さらに監督の石本秀一がいた。タイガースは初年度36年途中に初代監督・森茂雄を早々と解任し、石本を招いた。7月13日、球団常務・田中義一が広島の山金旅館で石本と会い、翌14日に契約を交わしている。

 監督交代は電鉄本社の意向だった。公式戦は6勝6敗だったが、本拠地甲子園や宝塚など地元での不成績が影響した。さらに球団史『阪神タイガース昭和のあゆみ』は<石本の厳しい指導方針に共鳴を覚えたから>と招へい理由を記している。

 広島商の投手として第2、3回の夏の全国大会(今の甲子園大会。当時は鳴尾で開催)に出場。関学大を中退、満州に渡り大連実業団でプレー。帰国後は大阪毎日新聞の広島支局で記者をしながら母校広島商の監督を務めた。24年夏に中国以西チームで初優勝、29、30年と夏連覇、31年春も制し史上初の夏春連覇を達成した。教え子に鶴岡一人らがいた。伝統の広商野球を築き上げた。

 スパルタ訓練は有名でタイガース監督に就任後の明石合宿では「千本ノック」で鍛え上げた。ライバル巨人が茂林寺の猛特訓を行っていたころである。沢村栄治打倒に投手にプレートの前から全力投球させ、打撃練習を繰り返した。この猛練習で、翌37年初優勝から38年連覇と「第1期黄金時代」を築いた。

 松山商先輩の森解任に腹を立てた景浦将や向こう意気の強い西村幸生らの反抗にも動じなかった。広商時代「真剣刃渡り」を行うほど精神鍛錬も重視。闘志むき出しで試合に挑む姿は後に伝統となる猛虎魂そのものだった。 =敬称略=

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