【中日・中田インタビュー】34歳の覚悟 34歳の挑戦「みんなで頑張って、監督を男にしたい」

[ 2024年2月10日 05:00 ]

打ち込んだボールの跡が残るバットを手に、中日での活躍を誓う中田(撮影・椎名 航)
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 中日・中田翔内野手(34)が本紙のインタビューに応じた。新天地を選んだ決め手が立浪監督からの一本の電話だったことを明かし、「野球人生のラストスパート。みんなで立浪監督を男にしたい」と2年連続最下位からの“下克上V”へ意気込みを示した。 (聞き手・湯澤 涼)

 ――ここまでのキャンプを振り返って。
 「技術的には、まだまだ。しっかり動くところは動いて。ケガもなく第2クールに入れた。まずは合格かな」

 ――調整は。
 「今は体のキレも全くないし、体が重い。毎年、第2クールに入るくらいが一番しんどい。でも、ここで無理する必要もないし、焦りも全くないですね。毎年のことなので」

 ――新天地で迎えるプロ17年目。
 「多少なりともプレッシャーはあるけど、チャンスを頂いた以上やり切るだけ。この世界はダメだったらクビを切られていくだけ。今は割り切れている。もう、やるしかない。やる自信もある。ダメだったら辞めるだけ。僕にとって野球人生もラストスパート。球団から必要ないと言われたら、そこまでだから。それを言われるまで全力で突っ走るだけ」

 ――引き際を考える。
 「考えないとダメでしょ。第二の人生の方が長いんだから。家族のことも考えないといけない。あと10年できるかと言ったら、できないからね、120%。打たなあかん。守らなあかん。走塁せなあかん。無理。あと何年できるか分からないけど、野球人生の終わりに、もう差しかかっているというのは、もちろんある」

 ――中日のユニホームで最後まで。
 「こんな年齢から他のチームなんて、もう、あり得ないと思うし、どうなるか、もちろん分からないけど、僕はドラゴンズのために全力を尽くしたい。2年連続最下位で選手も悔しいだろうけど、監督が一番悔しいと思う。みんなで頑張って、監督を男にしたい」

 ――沖縄・北谷に来て立浪監督と会食。
 「行きました。カニやら、お肉も出てきた。豪華な食事をごちそうしてくれた。“勝とうな、頼むぞ”と。ナカジ(中島)さんや他のメンバーもいて、僕以外にも、そう声をかけられていましたね」

 ――立浪監督からの期待。意気に感じる。
 「僕は立浪さんの一本の電話で(移籍を)決意した。最後の最後まで悩んだ。巨人も好きなチーム。素晴らしい人ばかりだった。最後の最後まで悩んだ。最終的な決め手は立浪さんの電話や、加藤球団本部長の言葉、嫁が背中を押してくれたことも大きい。この年齢で新しいチームに行くのは勇気がいるから。監督からの電話は、純粋にありがたかった」

 ――セ・リーグでDH制がない影響は。
 「めちゃくちゃデカいと思う。セ・リーグかパ・リーグで1、2年、選手寿命が違う選手はいると思う。難しいことですけどね。選手としてはあったら助かる。打てなかったらダメというのも、もちろんそうだけど、セ・リーグは守れなくなっても終わりですから」

 ――年齢を重ねて体のケアもより徹底。
 「なかなか疲労が抜けなくなったよね、一回ブワッて体が疲れちゃったら。自主トレで何十倍、何百倍もキツい練習をしてきているのに、キャンプに来て、人前に立って、ユニホームを着て、そこまでキツい練習をしているわけでもないのに、疲れが。本当だるいって感じ。だるおも~」

 ――回復のワザは。
 「ワザはない。休むしかない。交代浴とかお風呂は好きなので、毎朝入ったりするけど、ピークだと、なかなか疲れが抜けない。風呂につかっても、その瞬間ただ気持ちいいだけで、全然、疲れが取れないもん」

 ――シーズン中の家族の支えは大きい。
 「家族と接することで息抜きになったり、ストレス発散になったりするだろうね。今はもう野球のことだけを考えて。いい流れ。体を疲れさせに来ているんだから。ケアも含めて、いろんなことに挑戦しながら気持ちよくやれればいいかな」
 ――単身赴任ではなく家族で名古屋へ。
 「子供のこと、また転校するのもかわいそうと思っていたから、冗談抜きで腹をくくっていた。まあ、単身で行っても、すぐ子供に会いたくなって、1年も持たないと思うけど、付いていくよって言ってくれた」

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