【スノーボード】村瀬心椛、攻めた魅せた女子初の金!4年前の銅とは「景色が全然違いました」

[ 2026年2月11日 05:30 ]

ミラノ・コルティナ五輪 スノーボードビッグエア女子決勝 ( 2026年2月9日    リビーニョ・スノーパーク )

ミラノ・コルティナ冬季五輪のスノーボード女子ビッグエアで金メダルを獲得し、日の丸を掲げる村瀬心椛
Photo By 共同

 ビッグエア(BA)女子決勝が行われ、村瀬心椛(ここも、21=TOKIOインカラミ)が計179・00点で金メダルを獲得した。スノーボードの日本女子では初の五輪制覇。22年北京大会の銅メダルに続く2大会連続メダルは、フリースタイルスキー・モーグルの里谷多英(98年長野大会金、02年ソルトレークシティー大会銅)以来、雪上競技の日本女子では24年ぶり2人目。最終3回目の大逆転劇で、再び偉業を成し遂げた。

 夢に見た表彰台のてっぺんに上ると、大歓声に沸くゲレンデの風景が、涙でぼやけて見えた。「最高でした。やっぱり銅と全然違いました。高さというか、見ている景色が全然違いました」。17歳100日で冬季五輪の日本女子史上最年少メダルを獲得してから4年。ついにたどり着いた頂点からの眺めを、村瀬はそう表現した。

 「挑戦」がこの日のテーマだった。1回目、バックサイド・トリプルコーク(TC)1440に成功し、全体最高となる89・75点をマーク。2回目はおなか側に回るTC1440を試みるも、回転不足で70点台にとどまった。既に銅メダル以上が確定していた最終3回目、「また3位かと、絶対に思いたくなかった」と同じ技に再び挑戦。今度は回り切って着地も決めると逆転を確信し、右手を天に突き上げた。最後は両手で頭を抱え、歓喜に震えた。

 4年前、既に3回転半まで回せていたが、最終3回目も3回転にとどまり銅メダルだった。実はおなか側に回るTC1440は「練習でいっぱいケガしてきた技」で、実戦で精度高く着地できたことはなかった。その状況で挑戦を決められたのは、精神的な進化の証拠。技術、体力と合わせ、三拍子そろったゆえの戴冠だった。

 「挑戦」の原点は、わずか13歳で日本女子として初優勝した18年5月の冬季Xゲーム。世界を驚かせたこの時も、「一度もやったことがなかった」というバックサイド・ダブルコーク1260を試み、見事着地を決めた。元々は「できるかもと思ったら、できちゃうタイプ」。同年12月、右膝蓋(しつがい)骨骨折後は慢性的な痛みと恐怖心がこびり付き、本来の思い切りの良さが鳴りをひそめたが、地道なリハビリと練習で徐々に克服。「守らずにいくことを意識した一日」という2026年2月9日へとつながった。

 同じ04年生まれの木村葵来が男子ビッグエアを制したその夜、「え、触らせて!」と人生で初めての五輪金メダルに一足早く触れ、力をもらっていた村瀬。スノーボード大国日本の女子のエースには、もう一つ、大きな仕事が待っている。「スロープスタイルの方が気持ちが上がる。個性やスタイル、表現した滑りが出せるので」。目指すは2冠。攻めて、攻めて、攻めて、攻めて、攻めて、再びてっぺんに上り詰める。

 ○…スノーボードで複数メダルと2大会連続メダルは、いずれも男子ハーフパイプで前回まで3大会連続の平野歩夢に次ぎ村瀬が2人目で、女子では初めて。

 【村瀬心椛アラカルト】
 ☆生まれ 2004年(平16)11月7日生まれ、岐阜市出身の21歳。家族は両親と妹で強化選手の由徠(ゆら)。
 ☆最年少メダル 4歳でスノーボードを始め、ジュニア時代から国際大会で活躍。W杯では21年10月のBAで初優勝し、22年北京五輪BAで獲得した銅は冬季五輪の日本女子最年少メダル。昨年3月の世界選手権ではBAで金、スロープスタイルで銀メダル。W杯通算8勝。
 ☆名の由来 心優しく育ってほしいという両親の願いと、秋生まれであることから椛(もみじ)を合わせて心椛に。
 ☆ボトムはXO ファッションにこだわりを持ち代表ユニホームでも上着はぴったり、ボトムは「めっちゃ太め。XOサイズをはく」とあえて“太見せ”。10年バンクーバー五輪ハーフパイプ男子代表の工藤洸平さんが立ち上げたブランド「ノマディック」のウエアを愛用し、デザインにも関わる。
 ☆ドライブ 愛車は大きなワンボックスカー。村瀬がゴツい車を運転していると対向車のドライバーから驚かれることも。
 ☆ご褒美 金メダルのご褒美は母の手料理と家族旅行。

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