屈辱から5年 ラグビー松井&藤田が東京五輪代表に選出

[ 2021年6月19日 15:17 ]

藤田慶和
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 日本ラグビー協会は19日、オンライン会見で7人制の東京五輪男女日本代表メンバー各12人を発表し、男子は16年リオデジャネイロ大会でバックアップメンバーとして現地へ同行した藤田慶和(27=パナソニック)と松井千士(26=キヤノン)の2人が、悲願の初選出を果たした。

 今でも目を閉じれば、5年前の情景と心情がよみがえる。2人はバックアップメンバーとして12人の代表選手にリオデジャネイロまで同行し、直前まで練習相手を務めた。しかし選手村には入れず、試合もスタンドから見守るしかなかった。

 苦楽を共にした仲間たちは、初戦で優勝候補のニュージーランドを破り、前評判を覆す4位入賞。メダルは惜しくも逃したが、3位決定戦終了後、チームソングだった「上を向いて歩こう」を、当時の桑水流裕策主将はじめ、選手、スタッフが円陣を組み、涙を流して歌い上げた。そんな感動的なシーンも、2人はスタンドから見守るしかなかった。

 当時のことを、藤田は「4位になってもうれしくなかった。心の底からは応援できなかった。これは本音」と回想したことがある。実力で選に漏れた悔しさはもちろんだが、5年前は選考過程や発表方法にも日本協会の不備があり、混乱が生じていた。16年6月下旬、藤田も松井も一度は14人の「五輪代表候補」に選ばれ、東京都内で華々しく行われた会見に出席。松井は新ジャージーのモデルまで務めたが、その後の合宿を経て、7月中旬に発表された12人の代表から漏れた。14人の中から12人が選ばれたわけではなく、1人は候補外からの逆転選出。藤田は「いろいろなことがあった。そこは納得できなかった」という思いを抱えながら、その後の5年間を過ごしてきた。

 同大卒業後の17年4月にサントリー入りした松井は、社業とラグビーを両立する中で、脚のケガに苦しんだ。当初は15人制にシフトする予定だったが、故障を抱えている状況でも、再び7人制代表に誘ってくれた岩渕健輔ヘッドコーチの熱意にほだされ、五輪を目指す決断を下した。昨年6月末にはサントリーを退団し、キヤノンとプロ契約。「リオは(代表入りに)あと一歩まで行って、お客さんと同じ立場で見ていた。まだ鮮明に覚えている。その気持ちをメダルにつなげたい」。その思いをかなえるためのスタートラインに、ついに立つことができた。

 2人にとって2度目であり、初めてでもある五輪は、34日後に開幕を迎える。

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