ラグビー元日本代表・五郎丸歩 引退発表会見「32年間、全力で走り抜けてきました」

[ 2020年12月16日 13:06 ]

引退発表会見でラストイヤーにかける意気込みなどを語った五郎丸
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 ラグビーの15年W杯日本代表のFB五郎丸歩(34=ヤマハ発動機)が16日、記者会見した。9日に所属のヤマハ発動機を通じ、来年1月16日に開幕する今季のトップリーグ(TL)終了後に現役を引退することを発表。この日は、自らの口で、現役引退を決意した経緯などについて語った。

 五郎丸は会見冒頭、来年1月16日に開幕するTLを最後に引退することをあらためて伝え「寂しさはもちろんありますが、32年間、全力で走り抜けてきました。私には残り1シーズンしか戦う気力、体力ともに残っていません」。

 そして、周囲への感謝の気持ちを言葉にしながら「残された1シーズンを皆様に対しての感謝の思いというものをしっかりと胸に秘め、背負い全力で戦い抜きたい」と誓った。

 22歳でヤマハ発動機とプロ契約時を振り返り「その瞬間から35歳まで第一線で戦い抜くことを決意して契約したことを昨日のように思います」と明かし、「ここ数カ月、数年の短い期間ではなく、長いスパンでこの引退の日を迎えることになったということ」と語った。

 シーズン前の引退発表は「私自身が決めたこと」と五郎丸。「2015年のW杯期間中、W杯期間後に本当に多くの方々にラグビーを知ってもらった。そして応援し続けていただきました。新たにファンになった方々、また昔からラグビーを愛していただいているファンの方々。長くラグビーを応援して下さったおかげでアジア初開催の2019年W杯日本大会が大成功に終わりました。ありがとうございました」と頭を下げ、引退後については「全くにお白紙。私自身の性格で、2つ同時に考えられるような器用な人間ではありません。不器用ですが、目の前のことを1つ1つ積み上げてきた人間ですのでシーズン後のことはシーズン後、自分の役目を終えた後にしっかりと考えたい」とした。

 福岡県出身の五郎丸は両親の影響で3歳からラグビーを始め、佐賀工時代には3年連続で花園に出場。早大では1年からFBのレギュラーを獲得。在学中には3度の大学日本一を経験し、2年だった05年度の日本選手権ではTLのトヨタ自動車を破る下剋上に貢献した。卒業後の08年4月にヤマハ発動機に入団。W杯後の16年にはスーパーラグビーのレッズ(オーストラリア)、フランス1部リーグのトゥーロンでも1シーズンずつプレーした。

 日本代表では05年に初キャップを獲得も、その後は定着できずに07年、11年とW杯代表入りを逃した。しかし12年に代表ヘッドコーチに就任したエディー・ジョーンズ氏にその才能やリーダーシップを見出され、15番に定着。15年W杯ではリーチ・マイケル主将(東芝)を支える副将を務め、全4試合に先発フル出場を果たした。

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