池江璃花子、第二の水泳人生幕開け――涙の594日ぶりレース復帰「ああ、本当に戻ってこられたんだ」

[ 2020年8月30日 05:30 ]

競泳・東京都特別大会第1日 ( 2020年8月29日    東京辰巳国際水泳場 )

<東京都特別水泳大会 女子50メートル自由形>26秒32で5組1位の池江璃花子はレース後、感極まる
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 池江がプールに戻ってきた――。白血病からの復活を期す競泳女子の池江璃花子(20=ルネサンス)が50メートル自由形に出場し昨年1月13日の三菱養和スプリント以来594日ぶりにレースに復帰した。タイムは26秒32で目標に掲げた日本学生選手権(インカレ=10月2~4日)の参加標準記録26秒86をクリア。レース直後には感極まって涙を浮かべた。24年パリ五輪を目指す池江の第二の水泳人生が幕を開けた。

 スタート台からの景色、一瞬の静寂、そして水のにおい。大会の雰囲気を全身で感じながら、50メートルを泳ぎ切った。プールサイドにはマネジャーの姿。苦しかった闘病生活の日々が頭を駆け巡る。池江の涙腺が崩壊した。

 「一番つらかった時期を知るマネジャーさんがウルッとしている姿を見て、もらい泣きしました。第二の水泳人生の始まり。目標を大幅に上回り良い形でスタートできました」

 594日ぶりのレース。50メートル自由形の5組目に登場し第3レーンに入った。「ああ、本当に戻ってこられたんだ」。出遅れたが中盤で先頭に立つと、終盤も粘って26秒32の1着でフィニッシュ。目標に掲げたインカレ参加標準記録26秒86を0秒54上回った。「最後の15メートルは体が疲れて動かなかった。組で一番になれると思っていなかったので、凄くうれしかった。アスリートとしての負けたくない気持ちはしっかり残っていた」。タイムを縮めるためレース中の息継ぎは1度だけ。「楽しむことが一番」とスタート台に上がったが、終盤に周りと競った瞬間、「行けるんじゃないか」と力が湧いた。勝負にこだわる姿勢は体に染みついていた。

 退院直後の昨年12月。体重は10キロ以上減った。幼少期に腕力を鍛えたことで有名な自宅の雲梯(うんてい)にぶら下がったが、懸垂は1回もできなかった。それでもダイナミックな泳ぎは失われていなかった。身長1メートル72に対し、両腕を広げたウイングスパンは1メートル86。一般的には、ほぼ同じ長さだが、10センチ以上差がある。その長い腕をしなやかに動かせる肩の可動域が最大の武器。池江は「1年以上ベッドで生活したが、肩の可動域は変わっていなかった。そのおかげでうまく泳げている」と分析する。

 大会はYouTubeでライブ配信され、池江のレース中は飛躍的に数字が伸び、視聴者数は1万人を超えた。「多くの方に自分の泳ぎをまた見てもらうことができてうれしい。徐々にタイムを出してパリに向かっていきたい」と力を込めた。

 レース直後とは一転。リモート会見で見せたマスク越しの笑顔が、輝かしい第二の水泳人生を予感させる。病を克服して泳ぐ姿は何より尊かった。

 【池江の闘病経過】
 ▼19年2月12日 ツイッターで白血病を公表。
 ▼同3月6日 ツイッターで「思ってたより、数十倍、数百倍、数千倍しんどいです」と心境を告白。
 ▼同3月13日 「まだまだ諦めないぞー」と東京五輪出場への思いをつづる。
 ▼同4月2日 世界選手権の代表選考会を兼ねた日本選手権を欠場。
 ▼同8日 日大へ入学。
 ▼同5月8日 公式サイトを開設。
 ▼同6月5日 公式サイトで5月下旬に一時退院したことを報告。
 ▼同9月6日 日本学生選手権を観戦。白血病公表後、初めて公の場に現れる。
 ▼同12月17日 退院し、24年パリ五輪を目指す意向を表明。
 ▼20年3月17日 公式サイトなどで406日ぶりにプールに入る姿を公開。
 ▼同6月16日 所属するルネサンスで競泳ヘッドコーチを務める西崎氏の指導で練習を行うことを発表。
 ▼同7月2日 白血病公表後、初めて報道陣に練習を公開。
 ▼同23日 東京五輪開幕の1年前セレモニーに出演。世界に向けてメッセージを発信。
 ▼同8月1日 所属する日大水泳部にコロナウイルス感染者が出たため練習を中断。
 ▼同8月中旬 プールでの練習を再開。

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