一山 努力型“円谷イズム”でメダルを!「コツコツ積み重ねが大事」

[ 2020年3月13日 05:30 ]

故・円谷幸吉氏の墓参りをする一山(左)らマラソン日本代表選手((C)日本陸上競技連盟)
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 東京五輪マラソン男女代表選手らが12日、福島県須賀川市内で1964年東京五輪銅メダリストの円谷幸吉の墓前を参拝した。8日の名古屋ウィメンズマラソンで女子代表最後の1枠に滑り込んだ一山麻緒(22=ワコール)は「円谷幸吉メモリアルホール」で練習メニューなどを見学したほか、兄・喜久造氏(88)の訓話などで“円谷イズム”を学んだ。レースまで150日を切った札幌決戦へ気持ちを高めた。

 偉大なレジェンドに後輩たちが活躍を誓った。4日前のレースで五輪代表入りを決めたばかりの一山は墓前で手を合わせ「(円谷は)あまりよく知らない方だったが、実際に目で見て、話を聞いたりして凄い人だったなと感じた」と大先輩の功績に思いをはせた。
 選手たちは円谷が東京五輪で使用した“薄底シューズ”や東京五輪銅メダルが展示された「円谷幸吉メモリアルホール」も見学。墓参りの後に郡山市内で行われた記者会見に臨んだ一山は、練習ノートに感銘を受けたといい「円谷さんがマラソンに向けてやってきたことを見た。コツコツちょっとした積み重ねが改めて大事なんだと感じた」と努力型の自分自身に重ねていた。

 墓前では円谷の兄・喜久造さんから訓話も聞いた。喜久造さんは「弟のようにマイペースで走ってください」と選手たちに伝えたという。64年大会では円谷とともに出場した68年メキシコ五輪銀メダルの君原健二氏は自身が試合前に他の競技を観戦するなど集中力を欠いた一方、円谷はマラソンのみに集中して好成績を収めたことを話した。一山は「なかなか聞く機会はないが、とても貴重な話だった」と感想を語った。

 3年前から五輪代表選手による墓参りを計画していたという日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは「(円谷を)若い人に知ってもらいたかった。もう一度円谷さんの力をいただきたいという思い」と狙いを語る。ハードトレーニングを積んでラストチャンスで五輪切符を勝ち取った一山。「(円谷のように)コツコツと頑張っていきたい。しっかり練習を積む中でメダルを目指せる力を出したい」と“円谷イズム”でメダル獲得を狙っている。

 【円谷幸吉(つぶらや・こうきち)メモ】1940年(昭15)5月13日、福島県須賀川市出身。元々トラック選手だったが、64年東京五輪の7カ月前にマラソンに転身。東京五輪では初日に行われた男子1万メートルで6位に入賞。最終日のマラソンでは2位で国立競技場に入ってきたものの、後続の追い上げに気付かずに残り200メートルでつかまり、2時間16分22秒で銅メダルだった。続くメキシコ五輪での金メダル獲りを宣言したが、持病のアキレス腱痛と椎間板ヘルニアが悪化して思うように走れなくなり、私生活でも五輪を理由に交際していた女性と無理やり別れさせられるなど、心身ともにつらい日々が続いた。五輪を控えた68年1月9日、「父上様、母上様、三日とろろ美味(おい)しゅうございました」で始まり、「父上様、母上様。幸吉は、もう疲れ切ってしまって走れません」という遺書を残して自らの命を絶った。享年27。 

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