池江、涙の激白「生きていることが奇跡」 白血病公表から1年…メディアの前で初

[ 2020年2月20日 05:30 ]

池江璃花子
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 白血病からの復帰を目指す競泳女子の池江璃花子(19=ルネサンス)が19日放送のテレビ朝日「報道ステーション」に出演した。前日に収録したもので、元プロテニス選手でスポーツキャスターの松岡修造氏(52)と対談。病気発覚後にメディアの前で口を開くのは初めてで、24年パリ五輪に間に合わない場合は、28年ロサンゼルス五輪出場を視野に入れていることなどを明かした。

 白血病の告知を受けてから376日。ややほっそりした池江が言葉を紡いだ。途中、言葉に詰まり涙を流したが「今生きていることが奇跡だし、ここにいることが奇跡。病気になって良かったとは1ミリも思わないが、病気になって学んだことは多い。人生にとって大きなターニングポイント」と前を向いた。

 自身のSNSに記している通り「今はパリ五輪が一番の目標」と改めて明言した上で「覚悟はしてます。パリに出られなくても次はある。パリは24歳で次は28歳」と仮に24年パリ五輪に間に合わない場合は、28年ロス五輪を視野に入れていることを明かした。

 告知を受けた後は意外にも冷静だった。「どういう病気かよく分からずに抗がん剤治療で髪の毛が全部抜けるというのがショックで大泣きしたんですけど、部屋に戻るとケロッとしていた。五輪、金メダルという言葉から解放されて、ホッとした。五輪金メダル候補と言われるようになってからどこかにプレッシャーがあって、もう五輪のことを考えなくていいんだという気持ちになりました」。東京五輪に対して重圧を感じていたことに初めて気付いたという。

 入院中は「細くなって、入る服がたくさん増えてうれしかった」と説明。一方で「一番しんどい時は死にたいと思いました。こんなに苦しい思いをするなら死んだ方がマシと。後々凄い反省しました。なんでそんなことを考えたんだろう、と」と壮絶な闘病生活を回想。吐き気など、食事が喉を通らず、テレビや携帯電話を見られない状態が約2週間も続いたという。

 既に軽い筋力トレーニングなどを再開しており「筋肉が落ちていて、できない自分がある意味、面白い。ここからどれぐらいのスピードで自分が成長していくのかトレーニングをしていて楽しみ」と前向き。まだプールには入っていないが、好タイムでレースを泳ぐ夢は何度も見ている。

 放送直後には自身のインスタグラムを更新。「家族と見るのは少し恥ずかしいので、あとで1人で見ます…(笑)顔は、薬の副作用でむくんでます…」とまだ19歳の女子らしい一面ものぞかせた。

 【池江の闘病経過】
 ▼19年2月12日 ツイッターで白血病を公表。
 ▼3月6日 ツイッターで「思ってたより、数十倍、数百倍、数千倍しんどいです」と心境。
 ▼13日 「まだまだ諦めないぞー」と東京五輪への思い。
 ▼4月2日 世界選手権の代表選考会を兼ねた日本選手権を欠場。
 ▼8日 日大へ入学。
 ▼5月8日 公式ホームページ(HP)開設。「現在、治療は順調に進んでいます」と報告。
 ▼6月5日 公式HPで5月下旬に一時退院したことを報告。
 ▼7月4日 19歳の誕生日。「良い日をたくさん増やしていきたいです」。
 ▼9月6日 日本学生選手権観戦。白血病公表後、初めて公の場に。
 ▼12月17日 退院し、24年パリ五輪を目指す意向を表明。
 ▼20年2月8日 病気発覚から1年。「前に向かって突き進んでいきます」とつづる。

 ◆池江 璃花子(いけえ・りかこ)2000年(平12)7月4日生まれ、東京都出身の19歳。淑徳巣鴨高→日大。姉と兄の影響で3歳10カ月から水泳を始める。50、100、200メートル自由形と50、100メートルバタフライの5つの日本記録を保持。16年リオデジャネイロ五輪はリレーを含めて7種目に出場し、100メートルバタフライ5位。15、17年世界選手権代表。18年のジャカルタ・アジア大会で6冠に輝いた。

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