車いすテニス国枝慎吾 引退覚悟した右肘の痛み――全てを捨てて、全てをつかむ

[ 2020年1月2日 10:00 ]

8・25開幕 東京パラリンピック

東京五輪での金メダル獲得を誓う国枝(撮影・村上 大輔)
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 車いすテニスの国枝慎吾(35=ユニクロ)は東京パラリンピックで2大会ぶりのシングルス金メダルを狙っている。16年リオデジャネイロ大会敗戦のショック、そして引退を覚悟した右肘の痛みを乗り越えて大舞台を迎える。8月25日に開幕する東京大会、そしてその後のパラスポーツの発展への思いを語った。

 4年前、「絶対王者」と呼ばれた男は16年リオデジャネイロ・パラリンピックで失意を味わった。3連覇を狙った舞台でベスト8に終わり、手にしたのはダブルスの銅メダルだけだった。

 「チャンピオンの座を完全に引きずり降ろされたな、という気持ちと、自分自身満足な状態で戦えなかった悔しさの両方があった」

 12年に一度手術していた右肘に15年秋から痛みが出て、16年4月に手術。リオ大会には痛み止めの注射を打って出場したが、本来のパフォーマンスからは遠かった。大会後には痛みが再発。ラケットを置いて3、4カ月の休養を取ったが、痛みは引かなかった。

 「ありとあらゆる治療法を試したが、残りは数カ月休む、という選択しかなかった。そして、もう一度コートに戻ってみたら、やっぱり痛い。85%くらいは引退かな、と思った。残りの15%は、休んでいる間にいろんな打ち方を研究して、変えて駄目ならやめようと考えた」

 武器だったバックハンドは車いすテニス選手の打ち方を調べ、どうすれば肘への負担が少なくなるかを研究した。甲側に折っていたラケットの握りをフラットに変えることを決断した。

 「グリップを変えました。ボールが当たる面の角度が変わるので、最初はネットまで届かないくらいで、初心者の方がやるようなレベルの練習から始めました。痛みが出ないからといって、それをものにできるかは分からない不安もあった」

 フォーム改良は功を奏し、18年1月の全豪オープンで3年ぶりにグランドスラムのシングルスで優勝した。続く6月の全仏も制し、16年1月以来、世界ランク1位の座に戻ってきた。

 「ゼロからつくり直して、1年足らずの間にグランドスラムで優勝することになったのは、僕としては信じられなかった。王者ではなく挑戦者の立場だからこそ、何かを変えたい時に躊躇(ちゅうちょ)せず、アクセルを踏み続けられた3年ちょっとでした」

 バックハンドは昨年さらに改良を加え、より直線的な弾道の球が打てるようになっている。技術のほかにも、コーチと車いすを変え、食生活も見直した。

 「リオの時より7キロくらい減量している。ケガがあったからできるだけ体を軽くした方がいいかなと。現状維持では衰退になってしまうと心に刻みながら楽しんでやっている」

 昨年は4大大会のタイトルこそなかったが、9大会で優勝し、世界ランキングは現在2位につけている。

 「グランドスラムでいい結果が出なかったことは残念だったけれど、全体として優勝が9回あった。過去を振り返っても一番勝利数が多かった一年。いい年だった」

 健常者と障がい者の共生が最も進む車いすテニスの第一人者だからこそ、思うことがある。

 「健常者を管轄する団体が車いすもやっているのは、おそらくテニスくらい。他のスポーツと比べて一番垣根がないスポーツだと思う。グランドスラムは10年以上前から同時開催。なんで他のスポーツは分かれているのか。仲良くやればいいのになって思う」

 東京後のパラスポーツ発展のためにも、本大会の成功が鍵となる。

 「自分たちのスポーツを見せる機会で、そのチャンスを生かすも殺すも選手の実力次第。エキサイティングなゲームを東京で見せることで、普通のテニスと同じように“面白い”と思ってもらえたらテニスファンも取り込めると思います。そうなることで、車いすテニスがスポーツとして受け入れられる、という期待もある」

 ついに20年の幕が開け、勝負の時は目前まで迫ってきた。

 「東京ではもちろん金メダルを目指しています。王者に対して、こだわりはあります。たくさんのお客さんが見に来ると思うので、面白さを存分に感じてほしい」

 車いすテニスは8月28日から9月5日まで、有明コロシアムで行われる。大観衆が押し寄せる決勝のセンターコートは「日本に国枝あり」を再び証明する舞台だ。

 《国枝の過去4大会》
 ☆04年アテネ大会 20歳でパラリンピック初出場。斎田悟司と組んだダブルスで金メダルを獲得。シングルスは準々決勝敗退だった。

 ☆08年北京大会 シングルスで金メダル=写真、斎田とのダブルスで銅メダルを獲得。金メダル獲得をきっかけに、翌年4月に日本初のプロ選手となった。

 ☆12年ロンドン大会 2月に右肘の手術。ケガからの復帰となったが、シングルス2連覇を達成。ダブルスでは準々決勝敗退。
 ☆16年リオデジャネイロ大会 4月に再び右肘の手術をしたが、その後も痛みが続き、シングルス準々決勝敗退。斎田=写真左=とのダブルスで銅メダル。

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2020年1月2日のニュース